東日本大震災、福島第一原発の事故があったにもかかわらず、政治の意思決定の仕組みは何も変わっていない。日本の政治には、決定的に説明責任が不足している。
高度成長時代には、右に進むか左なのかという決定的な選択は必要なかった。経済的な豊かさえ求めていれば、皆はそれで満足していたが、民主主義のあり様としては未熟だった。
そして今、民主主義的プロセスや意思決定のあり方を問い直すチャンスがやって来た。原発、エネルギー政策、消費税など国民の関心事がたくさんある。しかし、日本人はどうしても感情の対立に陥りがちだ。
民主主義社会では、意見が違うことを前提に成り立っているのに、個々が違った意見を出し合うことを無用に恐れてしまう。
国民的な議論がしにくい背景には、マークシートによる試験、丸暗記型の教育に原因があるのかもしれない。社会に出れば「絶対に正しいという事象はない」ことはすぐに分かる。はっきり主張しながらも、相手の立場を尊重することも必要だ。
今のエネルギー供給体制は、コントロールできない大きなシステムに組み込まれている。電力会社の地域独占だけではなく、原油の流通なども世界的に巨大なシステムで成り立つ。エネルギーは私たちの生活・生存に不可欠な要素だが、そのシステムに自分たちの声や力は及ばない。
そうすると、地域紛争や石油ピークが来たとたんに、生活は一気に不安定になる。そうしたことを見据えて、システムの一部でも自分の手に取り戻していくことが大切ではないか。
私は以前から行政の立場で、地方分権の大切さを訴えてきた。政治でも行政でも身近な課題は自分たちの責任で考えなければならない。エネルギーも同様だ。