元々100年前に全国の木々を植樹した神宮の杜ではあるが、今、明治神宮域内に生息するクマゼミは、当時の植樹の際ではなく、近年、隣接する代々木公園に植樹された木々の根などについていた幼虫の子孫が多いのではないか、とも推測されている。

ただ、私の体感的な印象としては、クマゼミのシカシカシカシカと細かく刻む鳴声は、代々木公園よりも、神宮の境内、それも公園側でなく山手線沿いで多い気がする。
人間の営為に伴って他の地域から持ち込まれた生きものは、外来種である。移植された木の根などに付いて移動し関東で分布を広げたとするなら、関東のクマゼミは外来種だ。しかし、関西地方のクマゼミが、温暖化に伴い関東にも分布を広げた場合は、人間の営為とは無関係だから外来種ではない。
この両者が一体化した場合、あるいは関東で外来種として広がったクマゼミが関西に逆に進出して、従来のものと置き換わった場合は、外来種なのだろうか。公園で命尽きて横たわるクマゼミの姿を見ながら、ふとそんなことを考えた。

小学生の私なら、あれこれ考える以前に、喜び勇んで持ち帰り、標本箱に据付け、そのうえで、友人達に語るため、捕獲までの「物語」をも空想したかもしれない。その位、あこがれていたセミだった。
さて、このように大人になっても忘れがたい思い出として残り、子どもたちにとって、夏休みの宿題代わりにもなり、趣味と、時に実益をもかねていた、昆虫などの生きもの採集や標本づくり。
現在、「自然に親しむことは大切」として、一概に否定はされないものの、積極的推奨もされていない。珍しい生きものを手に入れようとする、子ども達(大人もだが)なりの、功名心や競争、混獲などが、地域の希少な動植物にとって、重大な脅威となり得るからだ。
生きものの標本採集といえば、大人の専門家達でさえ、博物館のための採集によって、何種類かのガラパゴスゾウガメを絶滅の危機に追いやってしまったという、苦い、忘れてはならない経験がある。