だが、例えば、毎年、北極(グリーンランド)と南極の往復という、過酷とも思える遠大な渡りをするキョクアジサシも、事故がなければ数十年生きるという。コンドルやオウムなど、飼育下ではあるが70年以上の齢を重ねた例も知られているようだ。
空を飛ぶ心肺機能を持つだけに鳥は長生きなのだろうか。
そんななかで、カワセミの寿命は数年とも聞く。飼育下での事例は知らないが、バイタリティ溢れるがゆえに、太く、短く命を燃やし尽くしているかのようだ。
今、東京都心など都市では、カワセミは必ずしも、清流の鳥ではない。コンクリートの護岸や金網の石籠に停まって、よどんだ水面を凝視する姿もしばしば見かける。

何万世代と受け継いできた命を、次世代につなげるべく、新たな環境のなか、よどみに飛び込んでいくカワセミ。そこには「渓流」、「宝石」、「翡翠」、という人間からの思い入れとは別に、逞しく生きる命の姿がある。だが、その命が将来的にも引き継がれていくか否かは、私たち人間の営為や選択に大きく左右される。
そしてその選択は、生きものたちの命の輪の一部である、私たち自身の将来にも直接的につながっている。