私たちに身近な生物多様性(30)[坂本 優]
ガンは秋にシベリアから日本に飛来する渡り鳥だ。「雁」と書かれ、「かり」、「かりがね」とも読む。
カモ(鴨)と姿は似ているがやや大型だ。ガンの仲間を家禽化したものがガチョウ、カモの仲間を家禽化したものがアヒルだが、ガチョウとアヒルの大きさの違いでイメージしてもらえれば、その大小は当たらずといえども遠からずだ。
繁殖期にオスが比較的派手な模様となることが多いカモと異なり、ガンは雌雄とも同じような地味な色合いがほとんどだ。つがいの絆はカモより強く、一度形成されたつがいはどちらかが死ぬまで継続される、などとも言われる。
カモは従来から毎年100万羽単位で飛来していると推定されている。多くの人名地名神社名などが残り、また「カモねぎ」などという身近な言葉で親しまれている。
これに対してガンの飛来数は、1960年代から80年代にかけて数千羽程度にとどまる年が長らく続いた。
これほどの差ではないにせよ、昔からカモに比べ、ガンの飛来数はだいぶ少なかっただろうと考えられる。しかし、古典や物語でのガンの存在感はカモを凌駕する。ガンは、日本の花鳥風月を代表する生きものの1つでもある。
鎮西八郎為朝の強弓を恐れ、ガンの群れが彼の館を避けて飛ぶようになったことから、為朝の館のあった場所が「雁回山」と呼ばれたこと、八幡太郎義家が上空を行く「雁の乱れに伏兵を知り」敵の不意打ちをかわし逆にこれを打ち破ったことなどは、事実か否かはともかく軍記物でもおなじみだ。
あるいは、わび住まいする光源氏が、都のある北から来た雁の群れやその鳴き声に都の恋人を想い
「初雁は恋しき人の列なれや旅の空飛ぶ声の悲しき」と詠う源氏物語の須磨の段を始め、物語や短歌に記されたガンにまつわる光景や挿話は日本各地、随所にみられる。王朝時代は、瀬戸内地方や九州にも飛来していたのだろうか。
また、雁そのものもそうだが、雁行、雁が音、落雁などガンにまつわる季語も多い。
そのガンは、一時期、日本のほとんどの地域から姿を消していた。40年前、私が大学生のころ、観察できるのは宮城県の伊豆沼や内沼などで3~4千羽、北陸の限られた水辺で数百羽という状態だった。
そんな頃、新聞で「雁の舞台(里?)にガン帰る」という見出しが躍り、森鴎外の小説「雁」の舞台の一つともなった「不忍池」にガンが1羽飛来した、との記事と写真が載っているのを見た。
「東京へのガンの飛来は、1羽でも新聞記事になる出来事なのか。」
と早速出かけるも観察できなかった。
同じ頃だったか、伊豆沼のガンの群れのなかに、北米の「ブルーグース」(アオハクガン)1羽迷い込んでいる、との情報がもたらされた。
幸い、末席に連なっていた研究会のメンバーたちが観察に出かけることとなり、私も加えてもらった。
伊豆沼近辺の宿に泊まり2~3日、当時はほぼそこでしか見られなかった、マガン、ヒシクイなどのガン類を私としては初めて観察しながら、「青いガン」を探した。
それはマガンの群れの中にいた。ほとんどマガンと同じ形・体色で、頭部が白いガンだった。「青い鳥」という想像(期待)とは違う姿だったが、じんわりとした満足感、昂揚感で全身が包まれた。

1976年 動物の科学研究会のブルーグース観察行(本文中の観察行)
にて 小畔光一氏撮影

とされた。(後年、マガンとの雑種や変異等、否定説が提起されている)
それから40年、ガンの飛来数は当初は漸増だったが、1990年代から急激に増え始め、最近では宮城県北部だけで10万羽以上という数字も聞く。激増の理由としては温暖化によりシベリアの繁殖地での雛の生育率が高まったことなどが考えられている。同じことは、コハクチョウなどでも詳しく観察・研究され、指摘されている。
ガンは基本的には凍結しない水面で夜を過ごす。従来は凍結していた湖沼が温暖化によって凍結しなくなることで、冬にガンが宿営可能な水辺は北進している。かつては少なかった北海道や北東北で越冬するガンも増えているという。
小説「雁」の終盤、むしろ逃がそうと思って主人公が投げた石にあたり、一羽のガンが事切れる。物語上の出来事とはいえ、これが作者鴎外にとっても、読者にとってもあり得る程度に、当時は多くのガンが不忍池に来ていたのだろう。
一時はすっかり数を減らし東京から消えたガン。温暖化の影響も含め、最近になって増加するも日本での越冬地は徐々に北へとシフトされている。
不忍池でガンが越冬する日は再来するのだろうか。

左:筆者
写真右手前:永戸豊野 研究会代表(故人/当時毎日新聞社 のちWWFJやTRAFFIC等)
永戸氏が、2007年12月に急逝されてから今月で10年。在りし日のお元気な
姿をご紹介するとともに、改めてご指導に感謝しご冥福をお祈りしたい。