2014年4月に開催された永青文庫の「大航海時代」に関する展示会でも、「忠興がワインを造らせていた」と間違ったまま。この年、ようやく理事長の細川護熙元首相に、製造場所は福岡県という訂正情報が入った。ところが忠興は間違ったままだ。

極めつけは細川護熙元首相が雑誌BRUTUS(2015年5月15月号で「日本ワインの醸造は、細川忠興によって始まった!」というインタビュー記事だ=写真。まさに「殿、御乱心」で、全国に誤報が流れる結果となったのである。

話が横道にそれるが、この号のBRUTUSは「世界に挑戦できる日本ワインを探せ!」という特集を組んでおり、「ワイン日本代表を決める、全50本の試飲会を開催!」というページに3人の日本人ソムリエが登場している。そのうちの一人が、日本ソムリエ協会の教本編集委員長であり、フォローアップ・セミナーで「日本初のワインは福岡」という説を紹介した森覚常務理事である。自らが登場している雑誌に目を通していないとは思えないから、偶然とはいえ、森氏は恐らく5年前に、この福岡ワインの情報を耳にしていたのではないだろうか。

忠興というのは、とんだ誤解だが、意外なことに、この「ワイン騒動」に行政が飛びついた。忠興が初代藩主をつとめた豊前国小倉藩のお膝元、北九州市が2016年になって国家戦略特区「汐風香る魅惑のワイン特区」に設定されたのである。従来より小規模でのワイン製造が可能になったのである。こちらも歴史に便乗した地域振興策と言える。

■「真実は忠利」とスクープ

そんな中、この特区認定を機に取材を進め、特ダネをスクープした新聞があった。毎日新聞である。2016年11月2日付夕刊の1面トップに「江戸初期に 藩主忠利が製造指示」の大見出しが躍った。取材のネタ元は熊本大学永青文庫研究センターで、忠興ではなく忠利、もちろん、製造場所も大分県中津市ではなく福岡県京都郡みやこ町という正しい歴史がようやく明らかにされた瞬間だった。

真正な史実。これで一件落着となるはずだった。しかし、実際にはそうならなかった。皮肉なものである。苦情や抗議が殺到したのだ。

「葡萄酒といっても醸造酒じゃなく混成酒だろう」という批判が多かったが、驚いたのは山梨県庁から「日本初は山梨だ」という苦情が来たことだ。一方、浮かれた地元テレビは「福岡で日本初のワイン」「ワインはクリスチャンであるガラシャ夫人のミサのため」とありえない取り上げ方をしている。日本最古のワイン史料ではあるが、「日本初のワイン」かどうか断定できない。忠利は島原・天草の乱に出陣している。細川藩はキリシタンを弾圧した側でありミサを行うはずもない。

これでは、後世へ誤った歴史が伝えられかねない。そう危惧を抱いた人物がいた。2010年から熊本大学永青文庫研究センターに勤務、永青文庫から預かっている5万8000点の史料のうち近世初期の史料を毎日、コツコツと読み込んでいたこの女性は、研究者の責任として、徹底的に史料を読み込み、それに基づいて真相を詳しく明らかにしようと決意する。

その人こそ後藤典子特別研究員であり、その成果が2018年に完成した「小倉細川家の葡萄酒造りとその背景」という論文である。

日本ソムリエ協会の教本記載につながるその論文とは?

次回に詳報する。(続く)

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