「日本初のワイン」は福岡?(中)

◆論説コラム

■熊本大学論文の衝撃

日本ソムリエ協会の教本に、「日本初のワインは福岡」説が加筆されたのは、熊本大学永青文庫研究センターの紀要「永青文庫研究」創刊号(2018年3月)に載った後藤典子特別研究員の「小倉藩細川家の葡萄酒造りとその背景」という論文の衝撃が大きかったからだ。

小倉藩で造っていた葡萄酒について、論文の概略を説明すると、
1.製造は2代藩主、細川忠利の命令に基づく
2.藩内に専任の葡萄酒製造担当がおり1627年(寛永4年)から1630年(寛永7年)までの4年間、組織的に生産された
3.葡萄酒の原料「がらみ」(山ブドウ=写真=)の発酵を促すため黒大豆を使用しており、混成酒ではなく醸造酒、つまりワインである
4.商業用ではなく病弱だった忠利の個人的な薬用酒として用いられた
5.葡萄酒製造が継続されなかったのは、幕府のキリシタン禁教令強化のため
---といった内容。

以下、後藤論文を詳しく引用してみよう。

史料として登場するのは、江戸初期、3代将軍徳川家光の時代、細川氏が豊前国小倉藩を治めていた当時の、奉行所の日次記録である「日帳」や永青文庫の原文書だ。豊前国(福岡、大分両県にまたがる一部地域)を治世下に置いた2代藩主、細川忠利(1586-1641)は、長崎で甘口の輸入葡萄酒を買い付けさせていたが、1628年(寛永5年)8月、江戸から国元に「葡萄酒を造る時分になったので、上田太郎右衛門に銘じて造らせるように」と命令を出している。

忠利は母がガラシャであり、宮本武蔵を庇護したことでも知られる教養人である。幼少より病気がちだったこともあり、薬として葡萄酒を愛飲していたようだ。

■南蛮に詳しい葡萄酒担当が「がらみ」に黒大豆添加

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原田 勝広(オルタナ論説委員)

日本経済新聞記者・編集委員として活躍。大企業の不正をスクープし、企業の社会的責任の重要性を訴えたことで日本新聞協会賞を受賞。サンパウロ特派員、ニューヨーク駐在を経て明治学院大学教授に就任。専門は国連、 ESG・SDGs論。NPO・NGO論。現在、湘南医療大学で教鞭をとる。著書は『国連機関でグローバルに生きる』など多数。執筆記事一覧

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