そんなある日、エミから「車いすテニスに挑戦してみない?負けた側が勝った人の要求に従うの」松山と山下は誘われた。学生時代テニス部にいた松山と運動神経のいい山下は喜んだ。「生意気な新参者をギャフンと言わせてやろうぜ」山下は自信満々だったが、結果は散々だった。車いすは操作が難しくボールを打つどころではなかった。
「障がいは個性なの。それを別にすれば、あなたたちと同じ普通の人よ。楽しく飲んで唄えばいいと思っているコックに、頭でっかちの福祉専門家、慈善家ヅラしたNPO、そして、いじめっ子だったエリートの松山君。健常者は何か勘違いしているんじゃないの?アパートのルールをちゃんと守るか、出ていくか、どちらかにしてちょうだい」とエミはきっぱり言った。
「ここを追い出されては困る」と松山が答えると、「安くて便利だからね」とエミがたたみかける。図星だった。松山が中学生の時、弟が事故で障がいを負い、責任の押し付け合いで両親は離婚した。それで弟が嫌いになった。障がい者の弟がいるという事実は友達にはひた隠しにしていたし、実は弟の世話もほとんどしたことがなかった。アパートに入居する時だけ、弟の障害を利用したのだ。
「弟は事故で車いす生活なんだ」
「そう。弟さん、私と同じね。松山君なら仲良くしているんでしょ。私、小学校でいじめられた時は悲しかったけど、一度、雨の日ぬかるんだ坂道で苦労している時、あなたに助けてもらったことがある。うれしかったわ。覚えている?」
思い出した。あの時、エミは雨に濡れて泣いていた。普段、強気なエミからは想像もできない姿だった。困っていた。だから助けたんだ、素直な気持ちで。
その時、ポケットの何かが手に触れた。そうだ、今朝、弟から手紙が届いていたんだ。すっかり忘れていた。急用かなと思って開けると、「兄さん、誕生日おめでとう。いつも心配しているよ。銀行忙しいだろうけど、時には帰ってきてね」
胸を突かれた。暖かい感情が湧いてきた。今度の週末、実家に帰ろう。そして、新緑の中で車いすを押してやろう、そう思った。
(完)
もう一つの家族 (希代 準郎)
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