3.11から10年、最大の鎮魂を考える

これは実は災害以前に、人口減少の日本に必然的に求められる転換だった。空き家と無居住地帯が急増し、もはや集住と人口増加を前提とした「集中型」インフラの設計思想は適合的ではない。(親の世代に数百世帯で支えていたインフラを子供の世代に数十世帯で支えるのは無理だ。)「もしも」の災害対応以前に、「いつも」の暮らしがそもそも持続可能(サステナブル)ではなくなりつつあった。

今回のコロナ禍と「開疎化」は、この流れをさらに加速させる追い風だ。そして、それは来るべき大震災への創造的適応の予行演習ともなしうる。

冒頭で書いたように、これまでの人口集中地帯が十数年も機能不全に陥り、家と仕事を失う人が数百万人規模で発生するなら、戦時下以上の「広域疎開」「大規模移住」――そして家と住処の地域間融通力が問われることになる。

10年前の福島原発事故の時は「広域疎開」は現実的でないと言われたが(残念ながら疎開した人への、また地元に残った人との間での「差別」も生じた)、来るべき大震災での広域疎開はもはや全国的・全国民的な次元での問題となり、かつ期間も世代を超えるような時間軸での計画(文字通り「国家100年の計」)が必要となる。

そんなことは到底不可能に思える?だが歴史を振り返れば、日本はそのくらいのドラスティックな国土スキームと国家体制の大転換を何度も行ってきた。

たとえば現代の私たちは東京中心の日本のあり方をあたりまえと思っているが、こんな日本が設計されたのはわずか400年前のことだ。徳川家康の江戸開幕は、それほど日本の国のありようを根本から転換するような大手術だった。

■「水と安全がタダ」の日本は、初めからあったものではない

shinichitakemura

竹村 眞一(京都芸術大学教授/オルタナ客員論説委員)

京都芸術大学教授、NPO法人ELP(Earth Literacy Program)代表理事、東京大学大学院・文化人類学博士課程修了。人類学的な視点から環境問題やIT社会を論じつつ、デジタル地球儀「触れる地球」の企画開発など独自の取り組みを進める。著者に『地球の目線』(PHP新書)など

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