日本初の社会起業に特化したビジネススクール社会起業大学。約600人輩出してきた卒業生は今、どんな活躍をしているのか。林浩喜学長が話を聞いた。第4弾は「国境なき医師団」の任務の終了後、そのまま赴任地ミャンマーに残り現地の無医村で医療活動を続ける名知仁子(なちさとこ)さんだ。そしてまさに今、デモ弾圧によるカオス緊張下にある現地の名知さんにオンラインでお話を伺った。


高校で医師志望に→大学病院に11年勤務→マザーテレサの御言葉との出会い→国際医療の道へ一ミャンマーへ→自らの2度の大病→社会起業大学での学び→医療NGO立ち上げ→農業教育への参画、というダイナミックな人生を歩まれているが、それはCALLING(召命)によるものだという。
■医師を志した経緯
高校生の時、医師だった父親が白内障で入院手術を受けた。見舞いに行った時、患者さんたちが担当医に感謝を込めて「ありがとう」と言っているのを見て、人を助けて心から感謝される眼科医とはなんて素晴らしい仕事なのだろうと思った。
「眼科医になりたい!」その思いが医師への起点となった。医大を卒業して大学病院に11年勤務した。勤務して5年後、偶然マザーテレサの本を手にした。その時「あなたの愛を誰かに与えれば、それはあなたを豊かにする」という言葉に出会い感動した。
マザーの腕の中で帰天しようとしている少年に「あなたは本当に生まれてきて良かったのよ」と語りかけるマザー。名知さんは私にはとてもできないと思った。
しかしそのような環境下で医師として働きたいと強く思った。そして最終的にまだ日本では知る人の少なかった国境なき医師団への参画を決意した。そしてアジア、中東への赴任を経てミャンマーへ。そこでいくつかの奇跡的体験を経てミャンマーに根を張ることになる。
■社起大での学び
日本にいた2012年、医療一本で生きてきてビジネスに詳しくなかった名知さんは社起大の門をくぐった。ビジネスを学ぶことのみを目的とする他の学校とは異なり、社会課題や自分自身も掘り下げる社起大の理念に共鳴したからだ。
当時を振り返ると、多くの社会起業家のゲストスピーカーが授業で講演し、赤裸々な体験談を話してくれたのが実践の学びとなったという。またビジネス感覚の強いクラスメートとの切磋琢磨からも大いに刺激を受けた。そしてついに名知さんは同年度の社起大グランプリで栄誉ある大賞を受賞するに至る。

■起業までの道のり
名知さんの最大の強みは、ブレない「自己ミッション」に基づく驚くべき行動力だ。グランプリ大賞獲得後の余韻に浸る間もなく、自らの組織立ち上げのために30以上のNPO、NGOをヒアリングして回った。
その中にはかの中村哲さんの事務所も含まれる。活動に有機農法を取り入れる際も、同様に多くの専門家を訪ねて回った。やはり並みの医師(意志)ではない!成功する起業家の必要条件であり、社起大のモットーの1つでもある「動けばわかる」を体現したような人だ。