コロナ世代の甲子園

「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(53)

 円藤太郎はいつも通り土と埃まみれで「春の甲子園」目指してノックのフライを追っていた。つらい、苦しい。先の見えない苦行だった。
 新型のコロナウイルス感染症(COVID-19)が徐々に広まっていることは知っていた。中国から始まり日本で騒ぎ出したのは二月も半ばを過ぎたころだった。それでもまさか高校野球にまで影響が及ぶとは思ってもいなかった。全国の小中高が一斉に休校になり、プロ野球のオープン戦と大相撲が無観客になった。そして選抜高校野球が無事に開催できるか危ぶむ声が出始めたのはつい最近のことである。
 二年生の太郎が通う公立高校は野球強豪校のひとつで、時々、プロ志望の選手も入部してくる。同級生の神野は中学時代に全国制覇を成し遂げた剛腕だ。昨秋の地区大会で準優勝し、十年ぶりに選抜出場を勝ち取れたのもこのエースのおかげといっていい。太郎自身はライトで八番の「ライパチ君」だが、学業成績が良く、東京六大学に進学して神宮で野球を続けるのが夢だった。
 地区大会決勝で隣県の野球名門校に負けたのは太郎の落球のせいだった。三点差で最終回の裏を迎えた。点差が開いていたこともあり、監督は疲れがたまっていた神野を交代させた。ところが控え投手のコントロールがままならずツーアウトながら満塁のピンチを迎えた。ここで相手はライトにフライを打ち上げた。万事休すと思われたが、これで優勝、と緊張した太郎は高く上がったボールを一瞬見失った。一挙に打者走者までホームを駆け抜けた。サヨナラ負けであった。
「太郎、どうした。太陽が目に入ったのか」
 ベンチ前で出迎えた神野がかばってくれたが、いつもは「ドンマイ。気にするな」と頼もしいキャプテンの無愛想な顔が痛かった。それでも年明けに朗報がもたらされた。地域性が考慮され選抜出場が決まったのだ。

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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