ゲリラと大統領

「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(55)

 この国はかつてケチュア族が築いた広大無辺の帝国として繁栄したものの白人の征服者に滅ぼされた。以来、栄光とは無縁の虐げられた国だ。
 私は今、独房のベッドで穏やかだが確実な死を待っている。大統領在職中の人権侵害? そう言われれば反論は難しい。ただ、功績もある。国土の3分の1を支配していたゲリラからこの国を救い出した。あの人質事件では軍の特殊部隊を強行突入させ、ほぼ全員を無事に解放した。ことしで83歳になる私に間もなく歴史の審判が下る。
 忘れもしない四半世紀前の年末。あの夜、地方視察から首都の空港に戻り、そのまま日本大使公邸へ行くつもりだったが、下痢がひどくて行けなかった。それで命拾いだ。
 ご存じの通り、特殊部隊は公邸の地下に掘ったトンネルから急襲したわけだが、実は、掘り始めて間もなく、日本人記者とのインタビューでこう聞かれた。
「大統領、トンネルを掘っていますね」
 虚を突かれて青くなった。夜、車の出入りをチェックしているとトラックが定期的に入ってくる。あとをつけたら荷台から砂粒が落ちてきたとの説明である。確かに30人ほどの鉱夫を連れてきて3交代で掘っていたからね。
 インタビューで嘘は言えない。「嘘をつくな」は帝国の掟のひとつである。かといって本当のことも明かせない。苦し紛れに「それは、あなたの想像でしょう」と言ったんだ。記者は目を細めた。
「大統領、ご心配なく。記事にはしません。人質の命が大事ですから」
 なぜトンネルを掘ることを思いついたかって?いい質問だ。犯行に及んだトゥパク・アマル革命運動(MRTA)は偽の救急車を仕立てて公邸に乗り付けた。彼らの根城は中央アマゾンのジャングルのはずだ。一体、どこからやって来たと思う。収監中のMRTA創設者、ポライの母親の別荘からなんだ。
 私は日本移民の子で、父はしがない仕立て屋だった。ポライはフリーメイソンでね。父親は中道左派政党、アメリカ革命人民同盟(APRA)の幹部で名門だが、祖父は中国・福建省からアンカシュ県カハカイへ苦力としてやってきた移民だ。アジア移民の子孫同士が大統領とゲリラ組織の創設者として対峙した。何とも不思議な運命だ。
 決行の日、主犯のセルパらゲリラは出発を前に、赤い屋根の別荘の前で記念撮影をしている。中米エルサルバドルのゲリラから購入、パナマ、エクアドル経由で密輸した武器もここに隠していたんだ。
 中部地域の海岸にあるこの別荘を捜索した後、さらに少し北にあるカハカイまで足を延ばしてみた。ここで思いがけなく示唆に富むものに出合った。トンネルが張り巡らされたプレインカの巨大遺跡だ。これがヒントになったというわけだ。

 平和的解決をという圧力には苦労したね。暴力に対抗するのに正当な武力行使は当然なのだが、日本は違う。人質が犠牲になりかねないと、そりゃあもう大騒ぎ。武力行使を嫌がるんだ。カナダで緊急に会談した日本の首相も、何とか話し合いで解決をとしつこいこと。平和マニアだね。
 もちろん平和的に解決できれば、それに越したことはないが、結局、平和的解決と武力行使は表裏一体なのだ。相手も脅しがないと降りない。カナダからの帰途、キューバに立ち寄り、カストロ首相にゲリラの政治亡命の受け入れを要請したし、渋っていたゲリラ側との交渉のテーブルについたのもそうした理由からだ。
 問題はゲリラが要求する仲間の釈放だった。実は赦免委員会というのがあって、ゲリラを匿った疑いで逮捕した農民などを定期的に数百人規模で釈放していた。この中に彼らが求める収監中のゲリラ仲間を紛れ込ませるのは可能だ。絶妙のアイデアだった。
 交渉の席でMRTAの服役囚271人のリストを見せた。もちろん、ポライは無理だ。ゲリラ側もそれは理解している。
「リストから10人を指名してくれ。その中から5人釈放する」
 そう告げた。セルパは10人に加え、ナンシーを指名してきた。彼の妻だ。それは目立つ、と断った。ゲリラを抑え込んできた私の履歴に泥をぬることになる。だが、セルパは譲らなかった。歴戦の闘士も元をたどれば心やさしい工場労働者だが、ストライキで親友を殺され人が変わってしまったようだ。奇妙な偶然だが、若いころ住んでいた長屋が私の昔の家の近くらしい。
 妻のナンシーを愛していたのか、強行突入はないと踏んだのか、セルパはごねた。確かに私は頻繁に「平和的解決を目指す」と公言していた。日本側の意向もあり、周囲ももう武力行使はないと思い始めていた。
 しかし、私は粘り強く交渉を続けながらも心に決めていた。1人でも人質が傷つきそうになったら突入するぞと。秘密裏に公邸と同じ大きさの模型を作り強行突入のシミュレーションを繰り返していた。
 話し合いは長期化し公邸を包む緊張は完全に緩んでいた。突入を強行する可能性はゼロだと誰もが信じ込んでいた時、また、あの日本人記者がやってきた。
「大統領、強行突入の訓練が行われています。武力行使をするつもりですね」
 私は動揺しながら答えた。
「それは、あなたの想像でしょう」
 記者は今度はニコリともしなかった。

 盗聴器を通して人質の疲労がピークに達していることが判明した。これ以上は危ない。決断の時だった。
 晩春。事件発生から126日目の昼過ぎ。暗号で「ブタ」と呼び習わしていたゲリラたちは1階でサッカーに興じていた。
 隠しマイクで人質から「マリアが病気だ」と連絡があった。ゲリラの見張りが緩いという意味だった。私は指示を出した。
「よし。カウントダウンを始めろ」

挿絵・井上文香
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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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