桐の小箱と伎楽面

「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(58)

 下町に店を構える桐屋野澤堂は江戸時代から続く老舗の箪笥問屋である。桐箪笥の製造・販売が柱だが、さすがにそれだけでは食べていかれず古い箪笥の修理やリフォームにも手を染めていた。時代に合わせ取っ手の金具を廃したモダンなタンスを作るところが多いなか、頑なに昔ながらの伝統的な箪笥やチェストにこだわっており、玄人筋の間ではさすが野澤堂さんは違うと評判を呼んでいた。
 主人の七代目野澤市兵衛はこの日、奈良から帰ったばかりだったが、それでも夜遅く作業台に向かっていた。正倉院で見た伎楽面の印象が薄れないうちに彫り挑戦したいと思ったのである。

挿絵・井上文香
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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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