「脱プラスチック」の動きがここまで来ているのかという思いを強くしたのは、東京で開催された日本最大のファッションとデザイン合同展示会を取材した時だ。新コンセプトエリア「エシカルエリア」を立ち上げるなど注目を浴びている同展だが、今回はSDGsやESGの社会的関心の高まりを受け「サステナブル」(持続可能)というコンセプトを前面に押し出していた。そして会場で出合ったのが、七彩社の生分解性プラスチックでできたマネキン、正確にはトルソー(胴体部分)だった。
ファッション展示会というのは表向きは華やかだが、規模が大きく一過性のため大量の廃棄物を生む宿命にある。主催者は「廃棄物の面から展示会の在り方を変え、新しい時代のひな形を作りたい」とリサイクルの時代を先取りしようとしていた。本来はファッションを支える脇役のはずの「脱プラスチック」マネキンこそが会場の主役だったのである。
七彩の一ノ瀬秀也執行役員は「若者や消費者が環境問題、特にプラスチック問題には敏感になっていることから生分解性プラスチックのマネキンの開発を急いできた」と背景を語る。
マネキンというのは不思議な存在である。華やかな衣装をまとうことにより脚光を浴びるが、それがなければ何か心もとない無防備で空虚なオブジェである。そのせいか、その歴史も一般にはあまり知られていないように思う。
マネキンは1849年、欧州で開発され、日本へは1910年(明治43年)、パリから蝋製のものが初めて輸入され、デパートや洋装店の店頭を飾った。このマネキンを修理していたのが、当時人体模型を製造していた島津製作所の標本部で、1925年(大正14年)、京都に島津マネキンを創業した。国産マネキンの製造の始まりである。