聴覚に与えるべき音(三浦 光仁)

私たちは音についてあまりにも関心が無さ過ぎた、と言えるかも知れない。確かに1000年も前には虫の音、風の音、衣擦れの音と、繊細な聴覚こそ日本文化の特徴のひとつとして挙げられたのだが。

今や音は溢れかえっている。都市生活者であれば機械音、人工音から逃れることはできない。いやそれは住む場所を限定せず、私たちの生活に蔓延している。

体に入って来るものについては、例えば食べ物にはすごく関心を払うのに、同じように体に入って来る「音」についてはあまり気にしていない。おそらくもっとも蔑ろにされていると断言できる。

人工甘味料、添加物など一切無し、と謳うことが重要視されているが、人工音、直接音、添加音など一切無しという但し書きは見たことが無い。

だからこそヒトは「自然な音」を求めているはずだ。

「気持ちのよい音」といった時みなさんはどんな音を思い浮かべるのだろう?小川のせせらぎ、風にそよぐ葉音、砂浜に寄せては返す波の音。それこそ1000年前の平安人ではないが、彼らが愛でていた気持ちのよい音とは自然の音に他ならない。

それでは人が作り出す音の中で、気持ちのよい音はあるのだろうか。

もちろん素晴らしいヴァイオリンの演奏や、うっとりするようなテノールの声。確かに気持ちのよい音だが、それはあくまでも「生」の場合で、再生音となった瞬間に、気持ちのよい音という感覚は消え去ってしまうのではないか。

気持ちのよい音とは、自然な響き方、自然な聞こえ方のする音と言い換えることができるかも知れない。指向性の強い直接音は刺激音であり、聴覚を緊張させる。指向性のない、空間に広がる、宇宙に向かって均等に満ち渡る自然な音こそ気持ちのよい音と言えるだろう。

ほとんどの動物は地上で生きていることで(水中+空中でもほぼ同様)体内に重力を感じる「平衡覚器」というセンサーを備えている。地球の重力を感じ、どの方向が地球に近いのか、いま自分はどのような位置にいるのか知るために、感覚センサーとしては生物史的に最も古いのが「平衡覚器」だ。

ヒトはその「平衡覚器」の中に「聴覚」を発達させた。一番原始的なセンサーの中に「聴覚」が出来たせいだろうか、ヒトは哺乳類のなかでも「聴覚動物」と呼ばれている。それは聴覚が生きるか死ぬか、生命を判断するもっとも重要なセンサーとして機能するためだからだ。

生まれてから死ぬまでヒトの一生で1秒たりとも聴覚が休むことはない。眠っている間は最も情報量の多い視覚を閉じてしまうし、嗅覚も触覚も一旦感覚を得るとすぐにキャンセルできるようになっている。同じ匂いをいつまでも感じることはなく、衣服を着て肌に感じる感触を常に保つことはない。味覚は言わずもがな。

しかし、聴覚は寝ている間も、どんな時も、生まれる前の胎児の時も稼働している。24時間、一生死ぬまで敏感に活動している。

左右の内耳にはリンパの海が広がりその中に2万4000本の繊毛センサーが漂っている。外耳から運ばれてくる振動がその海面を打つことでその周波数に対応した繊毛が揺れ、その組み合わせでこれは「ひとの声」、「ヴァイオリンの音」と認識するようにできている。この微細で精妙なセンサーに、この生命を委ねている聴覚に対して、私たちは日常的にどんな音を与えるか。

毎秒毎分毎時毎日、継続的に与える音について少しだけでも考えてみるのは如何だろう?

社会から隔絶するために、ヘッドホンやイアホンをすることは否定しないが、継続的な使用が私たちの身体や脳にどんな影響を与え続けているかを考えてみるのは如何だろう?

そしてそれはあなただけでなく、あなたの大切な人にも同じように毎日起こっていることなのだ。

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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