もう一つのエピソードとして、1965年までは、共産党が一番素晴らしい党だと思っていた。なぜなら、戦争中に最後まで戦争を反対したからだ。
そして、世界で一番素晴らしい国はソ連だと思っていた。日本中のマスコミがソ連は素晴らしい国だと言っていたからだ。言論表現の自由があり、階級制度もない、と。
1965年の7月に世界ドキュメンタリー会議がモスクワであった。日本からは、ぼくが選ばれて行った。それでモスクワ大学で学生たちとディスカッションしたいとリクエストした。
前年の10月にフルシチョフが失脚したので、学生たちにフルシチョフを失脚した理由を聞いた。当然ソ連は言論表現の自由な国だから、すぐに答えると思った。しかし、学生たちは真っ青な顔をして黙ったままだった。
コーディネーターが唇を震わせて「そういう話はしないで下さい」と遮った。ぼくは、「なぜだ?ソ連は言論表現が自由な国ではないのか?」と食い下がったが、「そういう話は一切ダメです!」の一点張りだった。
それで、ソ連には言論表現の自由がまったくなく、階級制度は米国や英国と比べてさらに厳しい国と分かった。がっくりきた。それで、共産主義・社会主義に対する幻想が一気に無くなった。
しかし、帰国後はそのことについて怖くて言えなかった。言ったらパージされていただろう。そのころのマスコミの常識は社会主義・共産主義が素晴らしいというもの。でも、いつかは言わなければいけないと思っていた。
ぼくがこの件について初めて公表したのは、1977年の文芸春秋誌だった。当時、日本では北朝鮮が地上の楽園と言われ、韓国が地上の地獄だと言われていた。ぼくは取材で韓国に行った。当時は朴正煕の独裁政権だったが、経済がどんどん良くなっていた。それで、その状況を記事にした。
すると、あちこちで糾弾集会が開かれた。「田原はカネをもらって書いた」などデマも流された。ありとあらゆる雑誌にそう書かれたね。でも、ぼくは糾弾されるのが好きだから、むしろ積極的に集会に出向いて議論した。
結果、1年半後には、ぼくの言う通りになっていた。そのころから「常識」というものを信用しなくなった。