記事のポイント
- 世界の有機農業推進運動は、1970年代、ほとんど同じ時期にはじまった
- 一方で、2020年代までの50年間、機械化や農薬の多投など、農業は近代化へひた走った
- 「70年前はすべて有機だった」。人気レストラン創始者の言葉に、有機回帰への可能性を見た
8月にオープンしたレストラン「米と魚 おさかなさま」(東京・中央)で、ドキュメンタリー映画「食べることは生きること――アリス・ウォータースのおいしい革命」の上映会が行われた。
映画は、全米で予約の取れないレストランとして知られる「シェ・パニース」の創始者であるアリス・ウォータース氏が、日本各地の有機農業や地域づくりの取り組みを訪ねる姿を追った。
アリス・ウォータースは「エディブルスクールヤード」、日本語では「食育菜園」という取り組みの創始者として有名だが、ぼくにとっては「シェ・パニース」の印象が強い。
地産地消のため、レストラン直営の農場から始まり、生産者との直接的な取引をレストラン経営に持ち込み、有機栽培の普及や、ファーマーズマーケットの広がりなど、スローフードと結び付き、世界中にその取り組みが広がった。日本でもそうしたレストランが増えている。
アリス・ウォータースの取り組みは、1971年の「シェ・パニース」のオープン以来、すでに半世紀が経過している。
世界116カ国以上約770団体が加盟する国際NGO「IFOAM(国際有機農業運動連盟)」が設立されたのが1972年、そして日本の有機農業運動も、1971年の日本有機農業研究会の設立に始まる。
つまり、世界の有機農業推進運動はほとんど同じ時期に始まり、50年の歴史を積み重ねてきた。その間、日本では政府もJAも、農薬や化学肥料の多投、機械化、モノカルチャー化(単一栽培による大規模)による農業の近代化へひた走った。有機農業の展開など歯牙にもかけない状況が続いた。
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■有機農業の原点は日本に