マツタケ菌は、アカマツの根に侵入して菌根という共生体をつくる。アカマツは、光合成によって得た養分をマツタケ菌に与え、マツタケ菌は、水分やミネラル分などをアカマツに与え、両者はウィンウィンの関係にあるといえる。
マツタケ菌は、貧栄養で比較的乾燥した鉱質土壌を好み、落ち葉が堆積し腐葉土になり、土壌の富栄養化が進むとマツタケ菌は育たなくなる。マツタケ菌が育たなければ、秋になってもマツタケが生えてこないし、アカマツも元気を失っていく。
かつては、山村ではアカマツ林の落ち葉や枯れ枝が、焚き付け用や堆肥用として日常的に利用され、林内に堆積することはなかった。なので、林内の土壌は貧栄養に保たれマツタケもよく採れた。地元の古老に聞くと、昔は秋になるとマツタケばかりで食べ飽き、見るのも嫌だったという。しかし、昭和30年代に、それまで家庭用燃料の主役だった薪や炭が、ガス、石油などに取って変わる燃料革命が起き、アカマツ林に人出が入ることが少なくなり、落ち葉や枯れ枝は林内に堆積し、腐葉土となりマツタケが生えなくなった。マツタケ生産量のデータを見ても1960年からがくんと生産量が落ちているのがわかる。
昭和30年代の燃料革命は、山村から都市部への人口流出が始まった時期でもある。薪炭の生産という日常的な収入の手段を失い、さらに昭和30年代から段階的にはじまった木材の関税自由化により、外材の供給量が増加し、林業の衰退が始まり、山村の若者は働き先を都市部に求めるしかなく、以後、過疎高齢化が進んだといえる。
森のライフスタイル研究所がアーバンフォレストリーと行っている「アカマツの森 里山再生プロジェクト」は、ボランティアの手により、専用の熊手を使ってアカマツ林内に堆積した落ち葉や腐葉土をかき集め、アカマツ林の土壌を貧栄養な状態にする。こうすることで、マツタケ菌が生育しやすい環境となり、やがてマツタケが生えてくるはずだ。