「美しくなりたい」に手話で応える、資生堂が美容相談サービス

記事のポイント


  1. 資生堂は、DE&Iを重要な経営戦略の柱のひとつとして位置づけている
  2. 2024年11月には「手話オンライン美容相談サービス」を本格始動した
  3. 単なる情報保障を超えて、当事者が主導する新しいインクルージョンの形を示す

資生堂は、資生堂グループの企業使命「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(美の力でよりよい世界を)」のもと、DE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)を重要な経営戦略の柱のひとつとして位置づけており、2021年にアクセンチュアとの合弁会社として設立され、デジタルとITを駆使してパーソナルな美容体験を提供する資生堂インタラクティブビューティーと共に革新的な取り組みを推進しています。

その象徴的なプロジェクトが、2024年11月に本格始動した「手話オンライン美容相談サービス」です。聴覚障がいのある方々が安心して美容相談を受けられるこのサービスは、単なる情報保障を超えて、当事者が主導する新しいインクルージョンの形を示しています。

NPO法人インフォメーションギャップバスター理事長の伊藤芳浩が、プロジェクトの中心を担う資生堂インタラクティブビューティーDX本部 オムニエクスペリエンス推進部の岡崎良士さんと須崎陽子さんにインタビューを行い、サービス誕生の背景から今後のビジョンまでを詳しく伺いました。

■「届かない美容情報」を届けたい

このプロジェクトの原点は、2019年に開催された資生堂グループのイノベーションコンテストにあります。「職域拡大プロジェクト」として提案された障がい者雇用の新しい形が、経営層の支持を得て実現に向けて動き出しました。

2021年には第1弾として、視覚障がいのある社員が通信営業として働ける体制を整備し、約5人が実際に活躍しています。今回の聴覚障がい者の美容職採用と聴覚障がい者向けサービス領域活動は、その第2弾という位置づけです。

岡崎さんは出版社勤務や聴覚障がい児童福祉施設で指導員を経て資生堂に入社。「情報というものが誰かの役に立つことや誰かの人生にポジティブな影響を与えることに深い充実感を覚えています」と語ります。聴覚障がい当事者として、友人たちが直面する課題も肌で感じていました。

(資生堂インタラクティブビューティー DX本部 オムニエクスペリエンス推進部 岡崎良士さん)

「聴覚障がいのある友人たちを見ていると、美容に関する情報がなかなか届きにくく、美容体験がしにくいという現実を痛感していました。今回のプロジェクトのお話をいただいたことで、企業の中で聴覚障がいという領域で貢献ができるとは思っていなかったので、大変前向きな気持ちで取り組ませていただいています」

須崎さんも新卒で入社し、現在はデジタル活動に特化した美容部員(通称:オムニPBP/パーソナルビューティーパートナーの略)の活動のひとつであるYouTube、X(旧Twitter)、TikTokなどのSNSサポートや美容メディアの発信を担当しています。

「化粧品売り場で番号札を渡されても、呼ばれる声が聞き取りにくい。周りが騒がしいとなおさらです。メイクレッスンを受けたくても、接客へのハードルの高さを実感していました。心のどこかで聴覚障がい者に対して何かサポートができたらいいなという思いがありました」と自身の経験を振り返ります。

(資生堂インタラクティブビューティー DX本部 オムニエクスペリエンス推進部 須崎陽子さん)

■「美容手話」という新たな言語を創造

プロジェクトでは、岡崎さんがサービス領域の全体推進を担当。まず聴覚障がい者の美容体験ニーズ分析から始め、社内のろう者・難聴者へのアンケート調査を実施しました。最大の課題は、健聴者である美容部員2人への手話レクチャーでした。

「美容部員が手話講座として受けたのは最初の2時間程度。手話は使わないと身につかないので、それ以降はすべて実践でした」と岡崎さんは振り返ります。

選ばれた2人のうち1人は、CODA(コーダ:聞こえない親を持つ聞こえる子ども)で、もう1人も子どもの頃に手話に触れる機会があり、手話に対するモチベーションが高かったそうです。

特に力を入れたのが、美容に特化した手話表現の開発です。「化粧水」は一般的な手話よりも丁寧さを意識した表現に変更。資生堂独自のワードである「ファンデ美容液」(美容液にファンデーション成分を閉じ込めたもの)のような、新しい概念をどう表現するかも大きな課題でした。

「ネイティブサイナー(生まれつき日本手話を母語とする環境で育った人)の社員の力を借りながら、時には外部の方にも協力していただきました。資生堂のイメージを崩さない丁寧な表現を追求し、ろう文化も壊さないような表現を心がけました。期間を区切るというよりも、10カ月のローンチまでの間、マーケティングを行いながらその場で決めて、伝わりにくければ変更するという柔軟な対応を取りました」(岡崎さん)

美容を「見える化」、視覚言語だからこそ伝わる魅力

手話を第一言語とする人たちは視覚的な要素を重視する傾向があります。そこで、色味を伝える際はオンライン越しに実際に商品を塗って見せたり、濃度や明るさで表現したりと、「グラデーション」「淡い色」のような抽象的な言葉を使わない工夫を凝らしました。

須崎さんは「ブランド名は指文字で表すと長くなるので画面に表示したり、アイメイクのアドバイスは目のイラストを描いて説明したりと、視覚的な要素を増やしています。日本語には同じピンクでも様々な表現がありますが、それをどう伝えるかは『やさしい日本語(​​外国人や子ども、高齢者など、誰にでも分かりやすいように、難しい言葉や表現を避けて、簡単な日本語で伝えること)』のようなアプローチが必要だと感じています」と説明します。

オンラインならではの工夫も必要でした。

「画面で手話が見えるかどうか、照明の明るさ、カメラとの距離感など、テストを重ねて最適な環境を見つけました。商品を見せてから手話で説明するという、聞こえる人とは異なる順番や時間配分も考えながら進めています」。

このオンライン美容相談サービスでは、手話だけでなく、文字入力によるチャットの利用も選択可能です。事前の申し込み時に希望のコミュニケーション方法を確認し、現在は利用者の約9割が手話を使用しています。

■「メイクがもっと好きになった」満足度は5.0

プレオープン期間中の満足度は4.9(5段階評価)、現在はほぼ5.0を記録しています。「聴覚に障がいがある人にとってこのような場があることは嬉しい」「メイクがさらに好きになった」「メイクが楽しかった」といった声が寄せられています。

岡崎さんは「手話で会話できることもそうですが、美容を身近に感じていただけたこと、メイクとは楽しいものであること、資生堂が本来目指したいことが伝わった証だと思います」と喜びを語ります。 美容部員からも前向きなコメントが寄せられています。

美容部員からも前向きなコメントが寄せられています。美容部員のSayaさんとNaoさんは「資生堂のファンになっていただけるようなカウンセリングを多くの方々に届けて、この活動そのものが世界に認知されて広まっていくことを目指しています」と意欲を示しています。

このプロジェクトは、資生堂インタラクティブビューティー社内の「SIB賞」(社員投票で選ばれる賞)(SIB:資生堂インタラクティブビューティー)を2024年11月に受賞しました。約40件のエントリーの中から最多得票を獲得しました。「成果主義の組織風土の中で、手話という領域が評価されたことは大きな意味があります」と岡崎さんは語ります。

SNSでの手話による美容情報発信にも「手話で語りかけるお二人の笑顔が素敵です」「このニュースは私たちにとってすごく嬉しい」といった温かいメッセージが寄せられ、プロジェクトメンバーの大きな励みになっています。

■障がい者自身が切り拓く新たな職域

このプロジェクトの革新性は、単に手話通訳を配置したサービスではなく、聴覚障がいのある社員自身がプロジェクトを主導し、聴覚障がい者の視点から必要なサービスを設計している点にあります。これこそが真の「リプレゼンテーション」(職場の文脈でいうと、多様な属性を持つ人々が組織内で単に存在しているだけでなく、意見が尊重され、意思決定に参画し、その経験が真に反映されている状態のこと)です。

「聴覚障がい者が接客業をするのは非常にハードルが高いと思われがちですが、実際に美容部員として採用されたことで、職種選択の幅が広がる可能性を示せました」と須崎さんは語ります。

資生堂は「The Valuable 500」(障がい者の活躍推進に取り組む国際イニシアチブ)に加盟しており、このプロジェクトは障がい者インクルージョンの具体的な実践例となっています。「障がい者の雇用や障がいのあるお客様への配慮など、私たちは障がい者インクルージョンに取り組んでいます。聴覚障がいのあるお客様に対して、手話による美容カウンセリングサービスを提供すると同時に、それを手話ができる障がい者自身が担うことで、確実に障がい者インクルージョンにつながっています」と広報担当者は説明します。

岡崎さんと須崎さんは、それぞれのキャリアビジョンについても語ってくれました。「資生堂に入った理由の一つは、健常者も障がい者も関係なく同じ土俵で活躍できる場があると思ったからです。実際その通りで、入社10年になりますが、今はプロジェクトリーダーを任される機会も増えています」(岡崎さん)

「会社の障がい者採用のポリシーが『本気で期待する』『必要な配慮はするが特別扱いしない』『一生懸命働きたい情熱のある社員を積極的に応援する』ということ。必要な配慮はありますが、仕事に対しては周りの方と平等に働ける環境に恵まれています」(須崎さん)

資生堂インタラクティブビューティーは、キャリア採用者や若手の方も多く、多様性が進んでいる会社です。「障がいがあるというのは本当に個性の一つという認識で、みんなが接しているような感覚があります」と広報担当者は組織の雰囲気を説明します。

■美容の力でインクルーシブな社会

現在の最大の課題は、より多くの聴覚障がいのある方にサービスを知ってもらうことです。「聴覚障がい者のコミュニティは以前より分散化しており、情報を届けることが難しくなっています。SNSだけでは限界があり、様々なチャンネルを用意する必要があると感じています」と岡崎さんは語ります。

今後は、採用した聴覚障がいがある美容部員が手話を活かしながらカウンセリング力を向上させ、お客様の期待を超えることが目標です。「現在はノウハウを蓄積している段階です。中長期的にこういった職域拡大にチャレンジしていきたいと考えています」。

岡崎さんは最後に力強く語りました。「社内だけでなく、社会全体の聴覚障がいに対する理解を、このサービスを通じて深めていきたい。美容部員が一生懸命に手話で伝える姿は、コミュニケーションの本質である『あなたに伝えたい』『あなたのことを理解したい』ということを体現しています。また、聴覚障がいがあっても、企業の中で貢献できることを、働き方という形で示していきたい。会社でできることは社会でもできる。私たちの取り組みが、より多様性に富んだ社会の実現につながることを願っています」

資生堂の手話オンライン美容相談サービスは、美容の力で心も豊かになる体験を、手話という新しいコミュニケーション手段を通じて届けることで、誰もが自分らしく輝ける世界の実現を目指しています。それは単なるサービスではなく、障がいの有無に関わらずすべての人が美容を楽しめる社会への扉を開く、大きな一歩となっています。

■美しさがひらく、誰もが輝く未来への扉

(左から岡崎さん、NPOインフォメーションギャップバスター理事長 伊藤、須崎さん)

今回のインタビューで感じたのは、資生堂の取り組みが単なる「合理的配慮」の枠を超え、真のインクルージョンを追求していることです。聴覚障がい当事者である岡崎さんと須崎さんが、ご自身の経験を活かしてサービスをデザインしている姿は、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」という力強いメッセージを体現していました。

特に印象的だったのは、お二人が「障がい者だから」ではなく、「プロフェッショナルとして」このプロジェクトに取り組んでいる点。これは、企業における障がい者雇用の理想的な形だと思います。

「美容手話」という新しい言葉を生み出す過程で、ろう文化への敬意と資生堂のブランドアイデンティティの両方を大切にしながら進めてきた姿勢は、特に印象的でしたこのような企業の挑戦が一層広がり、聴覚障がいのある方々がより多くの選択肢を持てる社会が実現することを願っています。資生堂のこの取り組みが、美容業界だけでなく、あらゆる産業分野の新しいスタンダードとして根付いていくことを期待してやみません。

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伊藤 芳浩 (NPO法人インフォメーションギャップバスター)

特定非営利活動法人インフォメーションギャップバスター理事長。コミュニケーション・情報バリアフリー分野のエバンジェリストとして活躍中。聞こえる人と聞こえにくい人・聞こえない人をつなぐ電話リレーサービスの公共インフラ化に尽力。長年にわたる先進的な取り組みを評価され、第6回糸賀一雄記念未来賞を受賞。講演は大学、企業、市民団体など、100件以上の実績あり。著書は『マイノリティ・マーケティング――少数者が社会を変える』(ちくま新書)など。執筆記事一覧

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キーワード: #ビジネスと人権

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