大人はわくわくしているか?
では、なぜ、このような状況になってしまっているのか?
16年間子どもと向き合って来たNPO活動の中から得たその理由の解は実はそんなに複雑ではありません。
子どもも大人も、それぞれわくわくしたエネルギーをもっているか?という問いの中にその答えがあります。
子どもたちは成長過程において、大人がつくった過去の慣習や歴史や高度経済成長期の均一な教育の枠組みの中で、だめなところ、満たっていないところは何度もダメと大人から烙印を押され、こうしなさいと注意されるけれども、自分のいいところや小さなできたを褒めてもらったり、わくわくして夢中になっている自分の姿をそれでいいんだよと認めてもらう経験は、実は、圧倒的に少ないのです。
子ども自身が日々、存在している社会に旅立つレッスンをしているコミュニティ(学校や家庭や部活や)の中で、子どもたちは、わくわくしたり、いきいきしたり、自分を認めてもらう経験をもつことができていないのです。
それなのに、まだ知らないこれから飛び込む社会の中に向けて、役立つ自分いきいきと活躍する自分を具体的にイメージできるはずなどあるわけがありません。
ましてや、目の前の大人たちがそもそも「わくわく」「いきいき」して見えないのに、どうして、未来に意欲や希望をもつことができるでしょうか。
「今の自分」と「目の前の大人」と「未来社会の中の自分」を合わせた万華鏡を覗いた時に、一歩を踏み出したいと思う世界をみることなどできないのです。
これから、来る未来社会は、多文化・グローバル・多様性・多世代・協働というキーワードの渦の中にあります。
どうしたらよいのかわからなくなって意欲が低下しているのは、実は子どもだけでなく、大人の方こそなのではないでしょうか。
今後加速するであろう立体的で複合的で多様で多元的な「ごちゃまぜ」の社会の中で、私たちは、互いを認め合う協働のコミュニケーションを取り合うことが様々な形でますます求められるようになってきます。
そうなった時に、わくわくするエネルギーとともに、自分が何者であるかを語る力がますます必要になってきます。
私たち一人ひとりは、互いを認め合い、わくわくした個々のエネルギーで構成された協働のコミュニティをつくるレッスンを今からしておかなくてはならないのです。
成人式に暴れた二十歳にもそこまでやるに至ったワケはあるでしょう。
あばれてしまう子どもも、あきらめ感をもって意欲低下して一歩を踏み出せないでいる子どもも、社会変化の中で、どうしたものかと戸惑う大人たちも、自分のエネルギーの行き先をどこに向けたらよいのかわからずにいる迷い子であるという意味で、本質は同じだと思っています。
大人がやるべきこと