有機農業と子どもたちの未来

有機農業に携わるきっかけ

――そもそも、お二人はどうして有機農業の道に入ろうと思ったのでしょうか。

8ec6a9c9f17f674d2b5aa83ddff080e1徳江さん:公害が原点にあります。私は水俣生まれで、父が水俣病の原因となった会社の工場長でした。水俣病の裁判の証言台にも立ちました。私の知っている明治生まれの堅物な父と、テレビで頭を下げている父の姿との落差が大きく、なぜそうなっているのか理解できず悩みました。

しかしある時、人から言われた言葉に、はっとしました。水俣病を引き起こした会社がどうのこうのというよりも、「今の日本はそういう社会なのだ」ということを言われたのです。

日本の高度経済成長と暮らしの豊かさが、同時に「公害」という負の部分を生み出す社会なのだと。その人は、そういう社会を「チッソ型社会」と言いました。

水俣病の原因は、プラスチック、ビニールを柔らかくする可塑(かそ)剤の生産工程から出た水銀にあります。ビニールハウスとか、ビニールの袋とか、みなさんが使う色んな便利なものをつくるのに使われているものです。つまり、便利なものを求める社会が結果として公害を生み出す社会をつくりあげてしまったのです。

そういった背景もあって、環境問題や農業には大学生の頃から興味を持っており、卒業後はダイエーに入り、青果物の流通を担当していました。しかしその2年後には食品公害や環境問題への関心が高まり独立して、山梨で仲間とともに農場を設立して有機農業と豚の放牧を行うようになりました。

それから有機農産物の流通団体「大地を守る会」に入り、10年後に「らでぃっしゅぼーや」を立ち上げました。「公害を生み出してしまう社会」からの離脱という視点から、事業そのものが環境改善につながるように、有機農産物や安全で環境に配慮した農産物の販売事業をずっとやっています。

――公害に原点があり、有機農業とともに歩まれてきたということですね。武内さんはいかがでしょうか。

武内さん:私は長年外食産業で働いてきました。20年以上前、飲食店の経営を任されるようになった時、少しでも良い食材を使いたいと思うようになり、調達のために全国をまわるようになったのですが、会う人がほとんど有機農業をやっている人でした。

有機農業をやっている人はよく勉強をしていて、おもしろい人が多いです。人に魅せられ、「自分で農業をやってみないと分からないよ。やってみたら」と誘われ、自然に有機農業の道に入りました。それから今日まで、農産物の仕入れ、商品開発、農業者とのマッチングを行いながら、時には山林を造成し、農場開設などをしながら、農作物を外食や小売チェーンに供給してきました。

ずっと有機農業をやっていますから、農薬の使い方もいまだに知らないです(笑)。

日本の農業を育てるために

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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