ボサノヴァの神様、ジョアン・ジルベルト逝く

七夕の朝、ジョアンの訃報が届きました。享年88歳。1958年、今から60年以上前に「想いあふれて」を発表。その後アストラッド・ジルベルト、サックスのスタン・ゲッツとリリースした「イパネマの娘」が大ヒット。この時からボサノヴァが世界に広がって行きました。誰もが知っているセレブリティの中で、ジョアン・ジルベルトが一番早くからのエムズシステムのスピーカーのご愛用者でした。何故なら2004年の発売前からこのスピーカーで自身の歌声を聞いていたからです。

エムズシステムの波動スピーカー

2003年9月。いまや伝説のコンサートと呼ばれている初来日の東京国際フォーラムAホールのエントランスで、エムズシステムの初号機MS1001を発表させて頂きました。

彼の遅れを補うように(いま、1時間遅れでジョアンはホテルを出て会場に向かっています、というアナウンスに歓声と拍手が沸いたのですから、どれだけ待望されていたのか! 普通でしたらとっくにチケットは払い戻しされ、ホールにはもう誰もいなくなっている頃)ゲッツ・ジルベルトのアルバムをスピーカーMS1001で流していました。「こんばんは」という挨拶から始まったその夜のコンサートは、まるでエムズシステムのスピーカーの発表を祝福してくれているかのような神聖で優雅で、しかも同時にリラックスした、この世のものとも思えぬひと時でした。

ゲッツ・ジルベルトのアルバム

彼は、コンサートを終え、深夜にホテルのスイートルームの戻り、いつものようにステーキランチ(ディナーでもなく、深夜1時に食するステーキを何と呼ぶのか分かりませんが)を食べながら、その夜の歌とギターを確かめるように、個人的に録音したテープをかけ、スピーカーから聞こえてくる拍手とともに、演奏を聞いたそうです。そのスピーカーがエムズシステムMS1001です。

彼はどんなオーディオにも特別な信頼を寄せておらず、「正しい音は僕のここで鳴っている」と言って自分の頭を指差したそうです。ですから音楽を聴くときもことさら有名な大きな、高価なスピーカーで聴くことはなく、適当な大きさのポータブルなスピーカーで聴いていたそうです。キャンセルしたり、遅れたり、その夜の気分に左右されたりと、ボサノヴァの神様のコンサートを実施するには大きなリスクが伴うのですが、それに果敢に挑戦したのがプロデューサーのTさんです。

エムズシステムの初号機MS1001ができたから聞きに来てと彼を国立にあるオフィスにお呼びしたところ、その日の夜、早速駆けつけて来てくれました。当日のお昼ごろに来店されたお客さまがジョアンの大ファンで、「今度、ジョアンが来日するの。彼にもこの音を聞かせてあげたいわ」と話題に出ていたので、ボサノヴァの神様が来日するそうですねと話を向けたら、「ええ、ぼくが呼びました」と答えられて、びっくりです。

その夜、3本目のワインがあけられた頃にはジョアンのスイートルームにサプライズでこのMS1001をセッティングして置こうという計画が練られていました。Tさんはジョアンが必ず自分のコンサートを録音して、その日の深夜、ホテルでステーキを食べながら声とギターを再生してチェックすることを知っていたからです。

初来日の2003年9月、東京国際フォーラムAホールのあと、横浜パシフィコでもジョアンはコンサートを行い、もう一人のプロデューサーMさんがジョアンのスイートルームに呼ばれました。「ジョアンからサプライズがあるらしい」という連絡があったのは、日本公演が終了した翌日のことでした。ここからは世界が羨む「伝説のライブCD」となった『ジョアン・ジルベルトin Tokyo』のCDブクレットからそのままご紹介します。

いつにもまして幸せそうな様子のジョアンと床に座り、スピーカーを目の前にしてDATの鑑賞会が始まった。変幻自在なアーティキュレーションとヴァイブレーション、考え抜かれた繊細なコードワークとリズムの精妙さ、息つかいまでもがリズムの一部となって溶け込んでしまうジョアン・ジルベルトだけのアート(芸術・技術)。そして観衆の素晴らしい反応。即興的に何度も繰り返される音楽は、繰り返される度に体全体を包みこみ心に染み渡ってくる。まさに音楽が生まれ出る瞬間を目にする歓び。新しい発見と驚き。

スピーカーから流れる音楽に陶然と身をゆだねながらも、なぜか緊張感が徐々に高まってきた。1時間以上そうしていただろうか、突然ジョアンはテープを止めて言った。「僕はここに何か形而上的(メタフィジコと彼は言った)なものを感じている」長い間があった。「これをCDとして出したい。どう思う?」一瞬、耳を疑った。「CDだけの発売は考えていない」と言っていたのは当のジョアンだったからだ。

こうして世界中が羨望したライブCDが東京から発売されることになりました。

ジョアン・ジルベルト

もちろんそのコンサート会場の空気・雰囲気(アンビエンチ)そして彼の演奏、歌唱そのものが特別なものだったには違いないけれど、同時に彼はこのMS1001から流れてくる歌を聞いて、「初めて自分の声をスピーカーから聞いた」と呟いたそうです。

彼はその後2004年、2006年と続けて来日。すっかり日本贔屓になってしまったようです。と言っても、ジョアンは日本滞在中、ホテルのスイートルーム、コンサート会場、スイートルームと往復するだけで、街歩きも、お買い物をせず、ライブをし、真夜中のステーキを食べながらDATでライブを反芻し、また翌日のライブに向うという過ごし方。だから彼は日本贔屓というよりも日本の観衆贔屓と言えるのかも知れません。なにしろ23分間も沈黙し、ただただ観衆の続ける拍手を聞き続けていたのですから。

ステージの上でギターを抱えたまま少しも動かず、じっと止まってしまったジョアンを見て、誰もがもしかして具合が悪くなってしまったのか、それともすでに演奏の合間に亡くなってしまったのかと思い始めました。Мさんが舞台に上がって「大丈夫?」と声をかけると、ジョアンはこう答えたそうです。「ここにいる皆さんの拍手ひとつひとつに耳を傾け、ありがとうを言っていたんだ」ジョアン・ジルベルト、ありがとう。合掌。

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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