「新国立競技場の木材は本当に合法か」、映画で迫る

■熱帯林と人権保護を訴え続けたマンサー氏

このマンサー氏の熱帯林と人権の保護にかけた日々が「ブルーノ・マンサー 熱帯雨林の声」として映画化された。11月にスイスで上映が始まると、3週間で10万人の観客動員数を記録した。

若手俳優スヴェン・シェルカー氏がマンサー役を務め、プナン族たちと一緒に演じている。2時間20分の大作で、スイスの映画界では異例の7億円近くの費用がかかっている。

マンサー氏はどんな人物だったのか。氏は高校卒業後、スイスの山で羊飼いなどをして暮らした。厳しい自然の中での生活で、金銭をまったく使わないで暮らしたいという思いが募り、30歳のとき、ボルネオ島へ行こうと決めたという。プナン族の多くは、現在は定住しているが、当時は森の中で狩りや採集をして移動して暮らしていた。

マンサー氏はプナン族の一団を見つけて、彼らに溶け込んだ。映画はこのあたりから始まる。

サラワク州ではマンサー氏がやってきた以前から森林伐採が始まっていたという。氏がプナン族と暮らし始めたころ、彼らの生活圏にも伐採の波が押し寄せてきた。プナン族は、マレーシア政府にとっては底辺層の存在だったようだ。

マンサー氏は、伐採業者の車が通れないように、バリケードを作って道をブロックし、「ここは、プナン族代々の土地だ」と主張する方法を思いついた。プナン族はそれを実行し、その様子は国際的に報道された。

映画「ブルーノ・マンサー 熱帯雨林の声」のシーンから(C)Tomas Wüthrich

これにより、マンサー氏の活動はマレーシア当局の怒りを買い、手配犯となった。変装してボルネオ島を抜け出し、スイスへ戻ったマンサー氏は、スイスから、時には過激的なパフォーマンスもして様々な働きかけをした。

映画では、氏はスイスで長年過ごして、ようやくボルネオ島を再訪したことになっているが、実際は、危険を冒してときどきプナン族の元へ戻っていたという。結局、氏の努力では最大の成果を出せず、現在の「サラワク州に残る原生林は5%以下」という状態を招いている。プナン族ほかの先住民たちの土地権も認められていないままだ。

熱帯林に熟知したマンサー氏が森で迷うことは考えにくく、伐採関係者に暗殺されたという見方もある。また、氏は、熱帯林と人権の救済が進まずに絶望して自ら命を絶ったという説もある。いずれにしても、この映画を見ると、熱帯林を取り巻く複雑な問題から目をそらせなくなる。

スイスでは、ペーパーバックの紙やバーベキュー用の炭など、熱帯林の木材を使った商品が日常の中に隠れていている状況だ。

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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