話は一昔前に遡る。火付け役となったのは大分県の地元紙だ。細川忠興(1563-1646)が小倉に国替えになる前の豊前藩主だった時代に「大分県中津市で日本初のワインを造った」と報じたのである。2010年のことだ。忠興は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将で小倉藩初代藩主、妻がかの有名な、明智光秀の娘、玉子(ガラシャ夫人)だからインパクトは大きかった。

早速中津市に地元ブドウを使った赤ワイン「忠興公」(原料のブドウ品種は小公子)、白ワイン「ガラシャ」(ナイアアガラ)が登場。さらに、復刻版「豊前なかつワイン」も発売された。商魂のたくましさには驚くばかりだが、報道された歴史が間違っていたら、どうだろう。ビジネスそのものの信頼性に関わるのではないか。

■「大分・中津市、忠興」という誤解

そして、現実にそれが起こったのである。報道の元をたどると、細川家伝来の美術品や歴史資料を収蔵している東京の公益財団法人、永青文庫(理事長 細川護熙・肥後細川家第18代当主)で「細川サイエンス展」の準備中の2009年に発見された古文書にたどり着く。古文書の読み解きは容易ではない。字は崩してあるし、社会背景や人間関係もよくわからないからである。

しかし、古文書を丁寧に解読すれば、ワインを造ったのは小倉藩初代藩主の忠興ではなく、その三男、忠利(小倉藩2代藩主)であることがわかったはずである。文書に出てくる「斎」を忠興の教養人・茶人としての別名、「細川三斎」と勘違いしたようだ。正しくは、「斎」は細川忠利側近の朝山斎助という人のことである。

また、製造場所も大分県中津市ではなく、豊前国8郡のひとつ仲津郡(現在の福岡県京都郡みやこ町旧大村)が正しい。二重に間違えているのである。

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