「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(48)

 S大学のラボから「あの時代」にタイムトラベルしてみようと思ったのにはわけがある。COVID-19の流行から5年、ようやく収まったと思ったら、ことしに入って超新型のコロナが拡大、大学が閉鎖されてしまった。来春の入試も多くの大学で中止に追い込まれた。そこで銀行頭取だった祖父が生前話していた東大入試を中止させた全共闘を卒論のテーマにと考えついたのだ。
 降下設定は半世紀以上前の1969年1月18日早朝、東大安田講堂に機動隊が導入された日だ。「実はな、おじいちゃんも立て籠ったんだぞ」無愛想な顔で、そう漏らしたこともあったが、まさか。
 ラボ「デロリアン」の中に入ると天井からカプセルが下りてくる。VANジャケットの内ポケットにはあの時代の東大学生証が入っている。突然光のきらめきに包まれた。
 あっという間に過去に転がり出た。目の前に十字架が見えた。教会だろうか。降下点は東大の本郷キャンパスのはずだが。奇妙な既視感にとらわれた。土手がある。そこから見下ろすと古ぼけた駅があり、四ツ谷と表示されている。なんのことはない、母校S大学前だ。正門前に1969年度入学式と掲示されている。時間帯にもずれが生じている。安田講堂事件は3か月も前に終わっている。ぼやぼやしていたら三島由紀夫が東大に公開討論会に来るころだ。
 ヘルメットをかぶった学生が「入学式粉砕」と叫びながらジグザグデモをしている。向こうからやってきた華奢な体つきの女子学生とぶつかりそうになった。ヘルメットと顔を覆っていたタオルを脱ぎながら、「あら、与志昭じゃない。今頃来たの?」美しい顔をゆがめた。
「ごめん」とりあえず謝る。祖父によく似ているので間違われたみたいだ。
「ちょっとお茶でも飲もうよ」
 身勝手で傲慢そうな、その女性、素子さんと連れの髭男、健太郎君に連れていかれたのは歌声喫茶だった。
「安田講堂以来ね。あの日、東大生はどうして日和ったの」素子さんは冷たい視線を投げた。健太郎君も不機嫌だ。
「安田講堂の陥落で検挙された東大生は何人だったと思う? たった何十人だぜ。笑っちゃうよな」
「そんなことよりさ、あんたの恋人だった子、パクられた後、自殺したって聞いたわ。大変だったね」
 知らなかった。僕は黙ってうつむくしかなかった。素子さんは立ち上がり、ピアノを弾きだした。「ともしび」というロシア民謡だった。
 与志昭、きょうは俺の家へ来いよ、寮だけど、と健太郎君。長髪の若者たちがたばこの煙の中で怒鳴りあうように議論をしていた。朝になると、ジャムとバターをたっぷり塗った焼き立てのコッペパンが差し入れられた。居心地の良さに、しばらく寮に居つくことにした。ある夜のこと。部屋に数人のヘルメット学生がゲバ棒を持ってなだれ込んできた。沖縄反戦デーで東京駅を占拠したが、機動隊に挟まれて高架線から飛び降りけがをしている。「沖縄奪還」「安保粉砕」の旗がボロボロだ。学生たちは殺気立っていた。
「公安に追われている。早く電気を消せ」

 寮にギターを抱えた小柄な学生がいた。「与志昭君、歌好きなら新宿駅へ行かないか。フォークゲリラだ」。若者が西口広場を埋め尽くしている。普通の学生だ。「こちらは淀橋警察署」とマイクががなり立てる。「君たちの行動は東京都公安条例、道交法に違反している。直ちにここから出ていきなさい」
 学生らの歌声が広がる。

 ♪友よ この闇の向こうには
  友よ 輝くあしたがある・・・♪

 学生運動は大学の自治、大学改革の運動から政治的、社会的なうねりになっている。安田講堂は終わりではなく、始まりだったのだ。やはり「あの日」に行きたい。ラボに連絡を取るとネットを開いて僕を回収し、転送してみるという。
 降下点へ戻ると光が来た。飛んだ。降下時は1969年1月17日と言われた。
 目の前に壁に貼られた一枚の紙が見える。
「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力を尽くさずして挫けることを拒否する」
 見上げると暗い大きな建物の屋上から中核、社学同などセクトの旗が垂れ下がっている。時計が見える。安田講堂だ。
 調べてきた情報を思い浮かべる。東大闘争の発端は前年の、医学部卒業生に課されるインターン制度のタダ働きへの反対だ。言ってみれば、医者の卵の経済闘争だ。学内でも関心の薄かったこの運動が全学に広がることになったのは、その年の6月、大学が混乱を収めるのに愚かにも警察に頼ったからだ。進歩的知識人たる教授たちが、だ。
 明日、1月18日朝、警視庁は機動隊8500人でこの講堂を占拠している学生を排除、封鎖解除に取り掛かる。学生は激しく抵抗し、633人が検挙されることになるのだ。

挿絵・井上文香

 講堂の正面から中へ足を踏み入れた。ヘルメット姿の学生であふれている。3,4階が大講堂だ。あちこちに学生の真面目な議論の輪ができている。
「機動隊導入近しということで、東大全共闘の多くは無断で逃亡したらしい」
「就職や進学を口実にね。大言壮語のわりに逃げ足が速かったな」
「各大学の全共闘が集まって東大入試阻止を決めた6日の集会に上京したのにさ。籠城するはめになるとはな」
 誰かがピアノを弾き出した。素子さんだった。横に健太郎君の姿も見える。その時、窓際にいたヘルメット姿の女子学生が僕に突進してきた。
「与志昭、どうして戻ってきたの。これからも運動を続けるリーダーは講堂から出るべきだって言ったでしょ。外から指揮をとって。わかってくれたんじゃなかったの?」おじいちゃんの恋人というのはこの人か。腕を揺さぶりながら訴える。祖父は既に脱出したのだ。辞めてくれ、僕は与志昭じゃない。
「違うんだ、僕は」
「行って。私は一人で残るわ。未熟だけど日本を変えたいの」

 ♪戦いに結ぶ 誓いの友
  されど忘れえぬ 心のまち・・・♪

 学生たちが唱和する歌声を聞きながら階段を下りていく。間もなく機動隊が突入する。でも何かうらやましかった。ここには若者の力一杯の異議申し立てがある。挫折するにしても、彼らはひとつの歴史をつくったのだ、間違いなく。
外へ出て振り返った。そこにはただ風が吹いていた。もう降下点へ戻らなくては。

(完)