人間にある23の染色体のうち、18番目が3本ある「18トリソミー症候群(エドワーズ症候群)」。先天性疾患で、心疾患をはじめ様々な合併症状を併発させるため、1年生存率は10%程度とされています。「18トリソミー」で生まれたまゆちゃん(1歳5カ月)のお母さんは「ネット上には障がいに関する後ろ向きな話が多いので、良い面も知ってほしい。もう少し18トリソミーの認知が広まれば、さまざまな選択肢が増えるのではないか」と話します。(オルタナ副編集長=吉田広子)
■「18トリソミー症候群」とは
通常は2本である18番染色体が1本増え、3本1組のトリソミー(三染色体性)になることで起こる先天異常症候群。エドワーズ症候群とも呼ばれる。出生児3,500~8,500人に1人の頻度で見られる。胎児期からの成長障害、身体的特徴(手指の重なり、短い胸骨、揺り椅子状の足など)、先天性心疾患、肺高血圧(PH)、呼吸器系合併症、消化器系合併症、泌尿器系合併症、筋骨格系合併症、難聴、悪性腫瘍などの症状を呈する。(参考:小児慢性特定疾病情報センター)
■ 出生前検診で「18トリソミー」が判明
――まゆちゃんは「18トリソミー症候群」だとお聞きしました。診断された経緯について教えて頂けますか。
11年前に第一子となる長男を出産した後、2度の流産を経て、まゆを授かりました。7カ月が経ったころ、産婦人科に行くと、超音波検査に1時間ほどかかり、「血液の流れが普通ではない。心臓が気になるので、大きい病院を紹介します」と伝えられました。
それから2週間に一度、病院に通うことになったのですが、検査をすると、心臓に異常があること、指が重なっていて広がらないこと、脳室の左右差が1.1cm以上あり、染色体異常の可能性があることが分かってきました。
へその緒も1本しかなく、体重もなかなか増えていきません。病院の先生も難しい顔をおられました。それから出生前検診で「18トリソミー」か「21トリソミー(ダウン症候群)」の可能性があると伝えられ、胎児のまま亡くなる可能性は90%ほどでした。
はじめはやはりショックで、不安な気持ちが強かったです。ですが、流産も経験していたので、生まれる前の検査だけで決めてしまうことはできないと、出産することを決めました。夫のサポートも大きかったですね。
2019年8月にまゆが生まれてから、何度か検査をし、「18トリソミー」という診断を受けました。
■ 急変する怖さと気付いた「命の尊さ」
――「18トリソミー」はさまざまな合併症を併発させるそうですが、まゆちゃんとご家族は普段どのように過ごされているのですか。
「18トリソミー」はそもそも胎児の段階で流産や死産になることが多く、出生時の1年生存率は10%程度と言われています。心臓や呼吸器に疾患を持つ子が多いので、急変して亡くなる子が少なくありません。まゆは1歳5カ月になりますが、これまで6回ほど容体が急変したことがありました。
まゆは心臓に穴があり、血液をつくる力が弱いため、一週間に一回、貧血を抑える注射を打ってもらっています。気管切開の手術をして人工呼吸器も着けています。泣いてしまうと心臓に負担がかかるので、家では落ち着かせる薬で安静にしています。体重の増加も負担になるので、病院の指示に従って、量を調整しながらミルクを飲ませています。
「18トリソミー」の場合、成長がゆっくりで「赤ちゃんの時間が長い」とも言われています。
――まゆちゃんとどのようにコミュニケーションを取っているのですか。
関節が固まってしまう拘縮が起こりやすいので、1週間に1回、リハビリの先生に来てもらい、運動や体を和らげてもらっています。私たちも、手足を動かしてあげたり、ガラガラやぬいぐるみ、風船をふくらませたものを触らせたりしています。
まゆは感情表現が豊かな方で、耳が聞こえにくいはずなのに、ドライヤーをすると泣いてしまったり、訪問看護の方が話しかけたりすると笑ったりしています。抱っこするとよく笑い、最近は「甘えた」になってきました。
――比べられるものではないと思うのですが、同じ染色体疾患のダウン症に比べて、「18トリソミー」の認知度はあまり高くなく、その分、支援が行き届かないなど、苦労することも多いのではないでしょうか。
私は以前介護の仕事をしていたのですが、妊婦中に休むことになりました。いまも仕事をしたい気持ちはありますが、まゆのような重度の障がいや病気を抱える「医療的ケア児」を預けて仕事をするのは、とても大変なことです。
人工呼吸器が着いている子は看護師の方がかかりきりになりますし、どうしても預けられる施設が限られてきます。近いところでも車で2時間かかってしまうので、現実的な選択ではありません。
ただ、何よりもいまは「このときを一緒に過ごしたい」という気持ちが強いです。
「18トリソミー」の特徴であり、理解されにくいことの一つに、容体が急変するということがあります。常に生死の境にいる感覚です。
通常は育休が明けて復帰すると思いますが、子どもが亡くなって復帰するケースもあるようです。「18トリソミー」自体がほとんど知られていないので、急に亡くなってしまったことを周囲に打ち明けられず、黙って仕事に復帰し、働いている女性も多いと聞きます。
私はSNSでママたちとつながり、悩みを相談していますが、前向きに育児をしていても、「18トリソミー」の子は睡眠が安定しないので、昼夜逆転しますし、ノイローゼ気味になることもあります。ちょっと見てもらいたいときに、近くにレスパイト(介護者の休息)できる施設があればと思います。
「18トリソミー」も、同じ染色体異常の「13トリソミー」も、「治療できない」と言われてきました。最近は少し変わってきたようですが、リスクが高く手術も難しいといわれています。幸いかかりつけの病院は、医師や看護師の理解があり、積極的に治療してくださっています。
やはり親としては、「一日でも長く一緒にいたい。数%の可能性にかけたい」という気持ちがありますから、この病気を一人でも多くの人に知ってもらい、治療してもらえる機会、可能性を高めたいという思いがあります。
■ 兄にとっては普通の妹、太陽のような存在
――障がいや病気を持つ子の兄弟姉妹は「きょうだい児」と呼ばれ、寂しさを抱えていることが多いと聞きます。まゆちゃんのお兄さんはどのように受け止めているのでしょうか。
この取材を受けることをきっかけに、初めて長男とまゆについて話しました。ずっと話したかったのですが、命にかかわることなので、どういう反応をするのかなと思うと、なかなか踏み出せなかったのです。
祖母が病院で亡くなったこともあり、長男は病院に対して怖い気持ちがありますので、本当は聞きたくなかったと思います。
それでも、家族の一員として知っておいてほしいと思い、この機会に話してみました。心臓に穴があることは理解しつつも、それが何を意味するか、はっきり分からないと思います。
それでも「それってしんどいことだよね」と兄なりに理解しています。自然な気持ちで「この状態がまゆだ」と受け止めていて、いたって普通の兄妹です。言葉ではあまり表しませんでしたが、この話をした後、まゆから離れなくなりました。彼なりの愛情表現だと思います。
「障がいや病気があって大変だね」と言われるのがいやなようで、学校の先生にも「まゆはまゆだから、病気ではない、障がいではない」と話しているようです。
――まゆちゃんはご家族にとってどのような存在でしょうか。
長男は「言葉では言えないほど大切な存在。なんでこんなに可愛いのかな」と話していました。
妊娠中、私は正直、本当に育てられるかな、自信がないなと思っていました。いざ生まれてみると、気持ちが強くなってきて、母親ってすごいなと思います。障がいがあっても可愛い娘には変わりありません。
まゆが生まれてから、いろんな人にサポートしてもらったり、声をかけてもらったり、さまざまな方とのご縁が広がりました。
健康でいることが当たり前ではないことにも気付かされました。見るにしても聞くにしても歩くにしても、すべて当り前ではない、生きているだけで尊い――。生まれてくること、生きることのすばらしさを教えてくれました。
まゆはいつ急変するか分からない。常に生死の境にいて、命と向き合っています。「怖い」と考えるときりがありません。夫婦のモットーとして、「いま一生懸命育児していく。まゆとともに生きる」ということを心掛けています。
正直、以前は、常に寿命と隣り合わせの「18トリソミー」を一番辛い障がい、病気だと感じていたのですが、まゆの入院がきっかけで、その考え方が変わりました。
まゆが生後100日経って半年ほど入院したことがあったのですが、病院で闘病している子どもたちにたくさん出会ったのです。子どもたちがすごく頑張っていて、無邪気に過ごす姿に「めっちゃ元気」をもらいました。
一人ひとりが頑張っていまを生きている。私だけではない、みんな頑張っている。その時の経験がいまの糧になっています。妊婦時代から苦しいことの方が多いけれど、ちょっとした成長が嬉しい。その喜びは、言葉では言い表すのが難しいです。
まゆの笑顔は、光を照らしてくれる「太陽」です。なくてはならない存在。長男も「まゆ、よくぞ生まれてきてくれた」という気持ちでいます。
――障がいの有無にかかわらず、「生まれてきたこと」「生きていること」そのものを肯定される感覚は、現代社会において得にくいような気がしています。その意味で、まゆちゃんの存在が教えてくれることは大きいと感じました。
障がいがあってもなくても、だれかに助けてほしい、誰かに気にかけてほしいという思いを抱えている人は多いと思います。だれかが一言優しい言葉をかけてあげるだけで救われることもあると思います。
障がいのあるなしにかかわらず、温かい目で見て、みんなが生きやすい環境になってほしい。こうしたことも、まゆが気付かせてくれたことでした。