3.11から10年、最大の鎮魂を考える

当時までの国家構造は「西日本中心」。歴代の都は奈良や京都、商工業も関西圏が中心で、京都=「上方」から江戸に「下る」(−−−江戸にも下らない下級の品が「下らねえ」ものだった)。だから歴代の東国武士の首領は、源氏も足利も信長・秀吉も、みな上洛を目指した。しかし人口が増え、根本的な土地・食糧不足で互いに相手から領地を奪い合うしかない「戦国時代」のゼロサムゲームに終止符を打つには、単に天下を取るだけでは不十分。いわば国家全体の設計思想の転換が必要だった。

そこで徳川家康が眼をつけたのが、火山と洪水の恵みが手つかずに残されていた関東の沃野。東京湾に流れ込んでいた暴れ川・利根川を銚子方面に付け替え、舟運を整備しつつ江戸を水害から守るとともに、その水を広く関東に灌漑して水田開発を推進した。

狙い通り、徳川時代の最初の百年で所得(GDP=米の生産量)は倍増、人口も倍に迫る高度成長を遂げて、土地と資源を奪い合わなくても大丈夫な平和な世の中を実現した。その結果、世界最先端の鉄砲大国が以後250年も鉄砲も刀も使わない、人類史上の奇跡といわれる軍縮を実現した。

江戸開幕から約50年で焼失した江戸城も、もはや戦国の世は終わったというメッセージを天下に発すべく、最大の武器であった城を再建せずに、その資金を庶民の江戸復興にまわしたと言う。防火や防災、まちの安全が行き届いた現在の日本社会の基本がここから整備されていった。「水と安全がタダ」の日本は、決して初めからあったものではない。

また、佃煮の佃島はじめ、大阪から来た漁師・商人が江戸東京の基礎を作った(大移住社会)。さらには「参勤交代」とお伊勢参りなどの大巡礼(観光)ブームによって、人や作物の種子や文化・ノウハウが全国レベルで交換された。250年にわたる江戸の繁栄は、このようなドラスティックな国土・国体の再設計と、それを支えた大人口の広域移住がもたらしたものなのだ。

いまの東京中心の日本も、わずか400年前の家康の「初心」によるものだと思えば、新たな日本を構想する余白はまだまだあるはずだ。ちなみに世阿弥の「初心」とは、文字どおり着慣れた「衣」に「刀」を入れ続ける心――過去の成功体験や既存の体制に安住することなく、絶えざる自己革新を続ける姿勢だ。

日本の自己更新(人口減少に伴う構造改革)にグローバルな環境危機と感染症が同期した今回は、そうした日本のOSのアップデートがそのまま地球貢献(=人類社会のOS更新)につながるだろう。

SDGsやグリーンリカバリーがメインストリーム化する一方で、地球温暖化と気候変動で中東や地中海はあと数十年で「生存不可能」な気候となり、海面上昇と水害で多くの沿岸都市が居住困難となることが予想される。

それを避けるために全力を尽くすのは当然だが、その一方でドラスティックな環境変化への適応策も不可欠となるだろう。数億人規模の「環境難民」発生と地球規模の「広域疎開」(難民の死語化?)に備えたスキーム構築は、グリーン・ニューディール等よりはるかに大きな想像力と創造力を要する人類的課題だ。

そんな時代に生きる世代として、日本における「変動適応耐性を備えた都市インフラ設計」と「広域疎開」「地域間融通」のスキーム構築は、自国の震災予防減災にとどまらぬ人類的な貢献、未来への投資となるはずだ。

shinichitakemura

竹村 眞一(京都芸術大学教授/オルタナ客員論説委員)

京都芸術大学教授、NPO法人ELP(Earth Literacy Program)代表理事、東京大学大学院・文化人類学博士課程修了。人類学的な視点から環境問題やIT社会を論じつつ、デジタル地球儀「触れる地球」の企画開発など独自の取り組みを進める。著者に『地球の目線』(PHP新書)など

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