自然化する建築とコロナ後の都市のゆくえ

【連載】オルタナティブな空間

最近、取材やインタビューで「ポストコロナの建築や都市はどうなりますか?」という質問をよく受ける。「さすがにそんなこと、わかるわけないよ」と思いながら、それでも必死に考えて言葉にしようとする。正しいかどうかを問われているわけではないし、本気でそれを求められているわけでもないだろう。取材の終わりの常套句くらいに捉えて、気楽に答えている。宙を眺めて、ぼんやりその風景をイメージして。

建築は自然化する。この100年、人は室内と室外をガラスではっきり分け、空間を人工的にコントロールしようとした。空調機で温度を一年中均質に保とうと努力した。結果、夏にはエアコンが効きすぎて寒がっている人をよく見かける。コロナで換気が喚起され、室内に外気をたっぷり取り込んでみた。案外、気持ちがいいことに気がつく。僕らはなぜ、あんなに躍起になって空気をコントロールしようとしたのだろう?

建築は室内と室外をシームレスに繋ごうとし始める。結果、ベランダや軒先が長くなり中間領域が大きくなる。そこに豊かな緑を植え、テーブルや椅子を置き、屋外を楽しみ始める。今までガラスのカーテンウォールでツルツルピカピカだったファサードは、凹凸と表面積が大きくなり、そこに植物や人々のアクティビティが絡み付く。均質に向かっていた都市の風景は、ごちゃごちゃとノイジーなものになってゆく。いつしか人々は、そのちょっと無秩序な状態を気持ちよく、美しいと思うように自分たちの感性を補正していく。

ただし、人類は一度手に入れた利便性を積極的に放棄したことは、かつて一度もない。窓を開け放ちながらも、必死で室内環境をコントロールしようとする。風や温度や人の多さを敏感に察知するセンシング技術はとてつもなく進化しているから、今後それを駆使し、エアカーテンなどの新たな空調システムが進化し、ガラスのような物質ではなく、見えない技術で環境をコントロールしようとする。テクノロジーとエコロジーが高いレベルで融合、もしくはバランスした建築や都市を追求するだろう。

人が集まることも、移動することもやめない。歴史的にどんな強力な疫病が流行っても、ぺストで人口の3分の1を失った時でさえ、人は集まることや移動することをやめなかった。どころか、直後のルネッサンスでさらにコミュニケーションを謳歌した。おそらく人間にはあらかじめ、移動や集合の本能がプログラムされているのだろう。今年のゴールデンウィークの中国は、史上最高の旅行ブームだった。人には痛みに対する忘却もしっかりプログラムされている。だからコロナが落ち着いたら、堰を切ったように僕らは旅やイベントを始めるだろう。そのための準備をしておかなきゃ。

仕事の仕方は変わるだろう。コロナをきっかけに、うっすら気がついていたことが決定的になったことはある。なぜみんな、1つの空間の中に閉じ込められて作業をし続けていたのだろう?オフィスは管理欲求の象徴空間だったのだろうか。リモートワークが普通になったことで、どこで仕事をしてもよくなった。

人は一度手にした自由を再び手放したいとは思わない。この流れは不可逆的。だからこそ、オフィスは人が集まりたくなり、その必然性がある場所へと急速に変わっていく。存在の目的が、作業する場所から楽しく会話し、良いことを思いつき、チームを組み、気分を盛り上げるための場所へとはっきり変わる。人は、移動し、集まりたい生物なのだ。

このようなことを、それらしく答えている。でも未来をイメージすることって、ときに大切ですよね。

baba

馬場 正尊(建築家)

建築家。1968年佐賀県生まれ。94 年早稲田大学大学院建築学科修了。博報堂、早稲田大学博士課程、雑誌『A』編集長を経て、02年Open Aを設立。東北芸術工科大学教授。

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