怒りの鉄槌

 そういえば、あの事故はどこか妙だった。父の怒りの鉄槌かもしれない。そんな突拍子もない考えが浮かんだ。無口な父だったが、昔から理不尽な振る舞いには容赦がなかった。
 ひょっとして、あのことか。私の実家は、地方の山奥にある。先祖は江戸時代からずっとそこに住んできた。今の家は築70年だが、父が近隣の山から立派な木を探しては建築資材にあつらえた堅牢な家だ。「いい木を探すのに苦労したんだ。この家は地震や台風が来てもビクともしないぞ」そんな自慢話をよく聞かされたものである。
 2階の床板には伊勢湾台風で倒れた近くの八幡さまの巨大な松の木が使われている。思い入れのある実家ではあるが、長男の私は生活基盤はあくまで東京。空き家は処分するしかないとつらい決断をしたばかりだ。両親は私が定年になれば故郷に帰って来ると最期まで首を長くして待っていたが、期待を裏切ってしまった。それでも、金箔を貼りなおした仏壇ともども家屋敷を手放すなど想像すらしなかっただろう。今、生きていたら怒って、拳固が飛んできたに違いない。
 多少のケガでは大学を休むわけにもいかないので、木曜日、電車に乗って出かけた。いつの間にか眠ってしまったらしい。読みかけの文庫本がパタッと落ちる音で目が覚めた。目的の駅はとっくに通り過ぎ、見慣れない景色が車窓を飾っている。ちょうど電車が止まったのであわてて降りる。真鶴という表示が目に入った。
 偶然にも志賀直哉の「真鶴」を読んでいたところだった。真鶴の漁師の子が弟と小田原まで下駄を買いに行くという物語で、その子は法界節の流しの女の乗った列車が脱線するのを空想する。不吉な幻想は作家自身が電車にはねられた経験と関連しているのかもしれない。
 事故後、温泉治療中に志賀が書いたのが「城の崎にて」で、大学の文章論の授業で何度か教材に取り上げている。
 いま読み返すと、身に染みる。一歩間違えば、墓石の下にいたかもしれないという心境も私とよく似ている。土の中で仰向けに寝て、隣を見ると父母や祖父母が何のかかわりもなく横たわっているというあたりの描写は身震いをするほどさみしく哀しい。

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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