編集長コラム:電気自動車「たま」と「懐かしい未来」

「懐かしい未来」は、映画『幸せの経済学』の監督も務めた言語学者のヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんが提唱するエコロジー活動です。昔から身近に存在していたものが、実は新しい未来をつくるという趣旨です。EV(電気自動車)もその一つで、その嚆矢はエンジン車と同じ19世紀末でした。(オルタナ編集長・森 摂)


戦後にタクシーとして活躍したEV「たま」(写真提供:日産自動車)

■最高時速35キロ、航続距離は65キロだった「たま」

ヘンリー・フォードの「T型モデル」に先立つ当時はエンジン車とEVがしのぎを削っていました。発明王トーマス・エジソンが電気自動車の開発に乗り出し、フェルディナント・ポルシェも1900年のパリ万博にEVを出展しました。

太平洋戦争の終戦直後の日本でも、三菱を含む多くの企業がEVを作り始めました。GHQによって航空機の製造を禁じられたのと、当時の日本はガソリンがほとんど入手できないためでした。その一つが「東京電気自動車」です。

同社が1947年8月に発売したのが鉛電池の電気自動車「たま」でした。小型乗用車とトラックの2車種で、「たま」の名前は東京電気自動車や、その母体である立川飛行機の所在地が由来です。

最高時速は35キロ、1回の充電で航続可能な距離は65キロでした。後継車種の航続距離は231キロと優れた性能で、「たま」はタクシーとしても人気を博し、1950年までに1100台が売れたそうです。

その後、ガソリンが市場に出回るようになり、電気自動車は消えていきました。ちなみに、日産自動車の源流の一つが、プリンス自動車工業の前身である東京電気自動車です。

これから日本にもやって来るEV時代は、「懐かしい未来」の姿でもあるのです。

■戦前に1000以上あった電力会社を統合した「電力の鬼」

ところで、戦前の日本には1000以上の電力会社があったそうです。東京電灯、品川電灯、深川電灯、帝国電灯、前橋電灯、日光電力、桐生電灯ーー。これら社名の通り、細かく分かれていました。そして地域の電灯を担っていました。

これを戦後、現在の9電力に統合したのが、「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門(電力中央研究所・初代理事長)です。

松永の持論は「電気、交通などのサービスを提供する企業はで独占を伴うし、先行投資も必要だが、そのために企業はできるだけ集中した形で大きく経営すべきである」(『電力の鬼』松永安左エ門自伝、毎日ワンズ社)でした。

その後、2000年に始まった電力小売り自由化(2016年に全面自由化)によって、新規参入の新電力会社は700社以上に達しました。これも「懐かしい未来」です。

ただし、電力卸売市場(JEPX)における昨年来の価格急騰によって、多くの新電力会社の経営を圧迫しました。事実上の倒産や、事業譲渡なども相次ぎました。

東京商工リサーチが4月26日に発表したデータによると、電力小売事業に新規参入した181社の新電力のうち、6割近くの102社が赤字(2021年決算)でした。赤字企業の割合は前年と比べて32ポイントも増えました。

■日本でも問われる「エネルギーの民主化」

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森 摂(オルタナ編集長)

森 摂(オルタナ編集長)

株式会社オルタナ代表取締役社長・「オルタナ」編集長 武蔵野大学大学院環境学研究科客員教授。大阪星光学院高校、東京外国語大学スペイン語学科を卒業後、日本経済新聞社入社。編集局流通経済部などを経て 1998年-2001年ロサンゼルス支局長。2006年9月、株式会社オルタナを設立、現在に至る。主な著書に『未来に選ばれる会社-CSRから始まるソーシャル・ブランディング』(学芸出版社、2015年)、『ブランドのDNA』(日経ビジネス、片平秀貴・元東京大学教授と共著、2005年)など。環境省「グッドライフアワード」実行委員、環境省「地域循環共生圏づくりプラットフォーム有識者会議」委員、一般社団法人CSR経営者フォーラム代表理事、日本自動車会議「クルマ・社会・パートナーシップ大賞」選考委員ほか。

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