「市街地と漁村では必要なものが違う」

被災した市街地は、津波で流されてきた車、船、家の瓦礫などに埋め尽くされていて、安全に歩くことさえままならない(写真:浦壮一郎)

今回の東北大震災では、被災地域は広範囲にわたっており、地域によって、いま被災者の方々が必要としているものが微妙に違う。この3連休に、手弁当で支援物資を持ち込んだ東京都在住の編集者(40代)が現地ルポを送ってくれた。

3月19日から21日の3連休を利用して、多賀城市、石巻市、女川町、雄勝町、塩釜市と支援物資を届けに行ってきました。現地の人たちから、現在こういうものが必要だというお話を聞いてきたので、もしこれから物資を運ぶという方がいれば、参考にしていただければ幸いです。
まず、市街地に住む人と、漁村などに住む人とでは、必要としているものが少し異なるようでした。

■宮城県沿岸部の市街地

仙台市をはじめ、多賀城市、塩釜市など宮城県沿岸部の市街地では、ガソリンスタンドに数百台のクルマが並んでいます。数時間並んでも10リットルも買えない状態です。灯油も同じです。ただ、今回高速を走っていたタンクローリーの数を見ると、これはあと少しで緩和されるかもしれません。

都市部で都市ガスが止まっているところでは、卓上コンロのガスカートリッジを必要としている人が多くいました。

ある病院では、食事が冷たいものばかりになってしまって患者さんの食欲が落ちているらしく、おかゆやスープなど、温めて食べるインスタント食品とガスカートリッジが非常に喜ばれました。

停電している地域では、乾電池式の携帯ラジオ、そして乾電池。

津波が運んできた泥を撤去する作業で、みんな服や靴がドロドロに汚れてしまっているので、清潔な下着、靴下、フリースの上着、ジャージやスウェットパンツ、作業用の手袋などの衣類、そしてサンダル(クロックスみたいなもの)も喜ばれると思います。そして歯ブラシ、歯磨き、洗剤、ハンドクリームなども不足していたようです。

街には津波が運んできた泥が大量に残っていて(不思議と漁村には泥がない)、それが乾くと、とても粒子の細かい砂となって舞い上がるので、1日外で作業しただけでのどが痛くなります。ですので、マスク、のど飴なども必要です。

ただし、これから燃料事情が解消されていけば(つまりクルマで買い物に行けるようになれば)、内陸部のたとえば仙台郊外などのお店には、生活用品はたくさんあるので、徐々にこれらの必要は少なくなっていくかもしれません。

食糧については、スーパーには(行列しなくては入店できませんが)野菜やお菓子、飲料などはそれなりにあります。その反面、肉、卵、納豆などは、ほとんどないか非常に少なかったです。

街の中には給水車が数多く出動しているので、水の緊急度はそれほど高くないように思えました。

なお都市部の避難所には、小さな赤ちゃんを連れた方は、現在ほとんどいないようです。自宅へ戻るか、親戚の家などへ移動したか。塩釜や石巻の役所で粉ミルクを必要な場所を聞いてみたのですが、結局どこも「いまは足りている」とのことでした。

■テレビや新聞がまったくない漁村地域

牡鹿半島や雄勝町など漁村には、自分たちの集落の高台に残った集会所などを利用して、避難生活をしている人々がいます。被害の少なかった建物を応急処置して避難所にしているところもあるようでした。

そういう場所では、津波で壊れた家の材木を拾ってきて、炊飯用の燃料に利用しています。水は、山に流れる沢水を使える場所はそれをくんできて使っていますが、集落によっては水場までの距離が遠く、ヘリから供給される水を頼りにしています。いずれにしても、飲み水用としてペットボトルの水が喜ばれる場所は少なくありません。

海岸沿いの道はところどころ地割れしていて、電柱がすべて倒れてしまったので電気はありません。運よく発電機をもっている場合は、自分たちの壊れたクルマなどから燃料を抜いて、それで発電していますが、それも非常に心細い状況です。

米は自分たちの家に備蓄していたものを供出して少しずつ使っていました。自衛隊のヘリによって、毛布などとりあえず急場をしのぐ救援物資は届いているようでした。

ただし、彼らは、いろいろな不自由のなかで、当たり前ですが、できるだけ清潔な暮らしを取り戻したいと思っています。いちばんの希望はお風呂に入りたいのですが、それはまだムリだとしても、水で髪を洗って、新しい下着や靴下に着替えることでさっぱりして、明るい気持ちを保とうとしています。

沢の水がある場所なら洗濯もできると思いますが、洗剤がありません。そして町まで買い物に行くクルマの燃料がないので、先に書いた下着や靴下、歯ブラシやシャンプー、ハンドクリーム、サンダル、スニーカー、フリース、タオルなどなど、すべての生活用品は都市部の何倍も入手困難です。

銀行は身元が確認できれば10万円を引き出せると言いますが、着の身着のままで逃げて助かった人々は、身分証明書どころか財布も持っていません。持っていたとしても燃料がないから町の銀行なんて行けません。ほとんどの人が、家もクルマも流されて、そして無一文状態です。

食糧も、当然ながら野菜を買いに行けないので、おかずの品目が非常に少なく、肉、卵、牛乳などはまったくない状態でした。食料を持っていくなら、そのほか蕎麦やうどん、お餅などもあったら喜ばれると思います。

また、テレビ、新聞などの情報がまったく手に入らないので、ラジオ(電池も)をとても必要としています。僕は東京から数日分の新聞を持っていきましたが、みなさん食い入るように読んでいました。ラジオは、ハンドルで回すと発電して使えるタイプのものが便利かもしれません。

それから、夜の灯りに使う大きなロウソク(直径10センチくらいの)をたくさん欲しいそうです。懐中電灯や、ヘッドランプも欲しがっていますが、その場合はいずれにしても大量の電池といっしょに届けたいです。自衛隊に注文すると、電池を持ってきてもらえるらしいと話している人もいましたが。あと犬を連れた人もいて、ペットフードも喜ばれました。

■物が戻りつつある仙台周辺の店舗
現地で何日が滞在できる場合は、東京で買い込んだ物を配り終えたら、再度内陸部で物を買い足して、海岸地域へ運ぶという方法がとれます。内陸部には物があります。
ちなみに僕が行ったスーパーは以下のとおりです。入店待ちで行列していたお店の状況も、もしかしたらあと数日で解消していくかもしれません。

<ジョイスーパーセンター愛子店>
3月20日朝は入店に500人ほど並んでいて、入店に数時間。大規模で品物は豊富そうでした。

<みやぎ生活共同組合(ジョイスーパーセンターの正面)>
3月20日朝はやはり500人くらい並んでいて、しかもひとり15点までの制限あり。品物は豊富そうでした。
<フレッシュフードモリヤ大学病院前店>
3月20日朝、30分ほどの並びで入店できました。店が小さいので、みんなが欲しいものはすぐに売り切れてしまいます。でも野菜や果物は豊富にありました。

<カワチ薬品栗生店の駐車場でやっていた野菜市場>
3月20日朝、品数もそこそこ豊富で、しかも安かったです。みんな知らないのか、10人くらいしか並んでいなくて、大型ダンボール1箱の野菜と果物を2000円で買えました。

■知らない同士が一つ屋根に暮らす不便
役所の都合というか、物資の運搬や、管理の効率をよくするために、漁村や山村の集落ごとにまとまっている小さな避難所を、徐々に大きな学校や体育館に統合しようとする動きがすでに始まっています。

しかし、家はなくなってしまっても、そこは彼らがずっと前から住み慣れた土地です。60軒のうち5軒しか残らなかったという集落では、残った家の部屋を女性や老人や子どもたちに優先的に使わせて、男の人たちは避難所に寝るという具合に、弱いものを優先的に考える心が、小さなコミュニティを強くたくましいものにしています。

そうした人々が、知らない人ばかりの学校や体育館に集められ、大所帯の生活ルールにはめこまれてしまったときに、いまかろうじて心の支えとなっているものを奪われないか、それが心配でなりません。

病人や体の不自由な人を町へ移動することはやむを得ないとしても、人々が希望する限り、自分たちの土地での生活の存続を尊重し、できれば、医者や行政や役人など手を差し伸べる側が、そうした小さなコミュニティをきめ細かく訪問するようなシステムを作って欲しいと思いました。

(この記事は3月21日現在の状況をレポートしたものです。現地の状況は刻々と変化するので、実際に現地へ赴く方は、なるべく新しい情報を入手してから、支援物資の準備をすることをお勧めします=小島サガル)

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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