富士通、当事者と共に誰もが楽しめるテクノロジー開発(中編)

記事のポイント


  1. 富士通では、聴覚障がい当事者の社員自身がアクセシビリティ向上を牽引する
  2. こうした取り組みは、同社の製品・サービス開発にも活かされているという
  3. 中編では、新たなインクルーシブデザインの可能性を示すプロジェクトを紹介する

富士通、当事者と共に誰もが楽しめるテクノロジー開発(中編)
ーー共創プロジェクトと感覚拡張の追求

前編では、障がい当事者によるアクセシビリティ推進の取り組みについてお話を伺いました。組織内での情報保障の課題から始まった松田さんの取り組みが、企業全体のアクセシビリティ戦略へと発展していく過程をご紹介しました。

本編では、そうした社内での基盤を活かして展開されている、実際にアクセシビリティを提供する製品・サービス開発の事例をご紹介します。特に注目していただきたいのは、従来の「支援」という概念を超えた、全く新しいインクルーシブデザインの可能性を示すプロジェクトです。(聞き手=NPO法人インフォメーションギャップバスター理事長・伊藤芳浩)

共感から生まれたテクノロジーの原点

コンバージングテクノロジー研究所の本多達也さん(聴者)は音を振動と光で表現して感覚の拡張を実現するを実現する「Ontenna(以下、オンテナ)」や、駅の音をオノマトペで視覚化する「エキマトペ」の開発者として知られています。本多さんの開発の原点は、大学1年生の時の文化祭での出会いにあります。

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「大学の1年生の時の文化祭で、『函館ろうあ協会』の会長さんだった50歳ぐらいのおじさんに出会って、そこで手話を使っている人を間近に見て、手話ってかっこいいなと思って、勉強を始めたというのがあります」

コンバージングテクノロジー研究所の本多達也さん
コンバージングテクノロジー研究所の本多達也さん

手話の学習を通じて聴覚障がい者との交流が深まる中、本多さんは日常生活での具体的な課題を目の当たりにします。その後の体験が、開発に対する根本的な考え方を形成しました。

「一緒に住むと、例えば音楽番組とか『紅白』とか見てても、一緒に楽しめないし、で、なんか一緒に歩いてて犬がワンって鳴いても、僕はびっくりして、その人は全然気づかないんで、なんか、そういう音のギャップというか、知覚のギャップというか、そういうのにすごく違和感みたいのがあって、で、なんか一緒に楽しめるようなことができないかなっていうのがあった」

なぜ大企業なのか、スケールとトラストの力

この「一緒に楽しむ」という純粋な想いを、社会に届く「製品」として形にするためには、個人や大学の研究室だけでは乗り越えられない壁がありました。本多さんが富士通で研究を製品化することを選んだ理由には、明確な戦略がありました。

「製品って、研究と全然違って、ビジネスにしないといけないっていう大変さもあるし、簡単なプロトタイプはすぐ作れるんですけれど、製品となるといろんなレギュレーション(規則)というか、ルールがあるんですよね。そういう意味では、ものづくりをずっとやってきた『富士通』でできたっていうことはすごくうれしい」

大企業ならではの製品開発ノウハウに加え、企業ブランドが持つ「信頼性(トラスト)」も重要な要素でした。

「『富士通』というブランドが小学校に行っても受け入れられたし、『富士通』の人が作ったものだからっていうので、安心して子どもたちも使ってもらえたしっていうので、大企業に入ってよかったなと思う」

実際に、この信頼性と組織力(スケール)があったからこそ、髪の毛につけて音の振動を感じるデバイス「オンテナ」を全国のろう学校の約8割に導入するという成果に繋がったのです。

企業間共創プロジェクト「エキマトペ」の誕生

駅のホームで、女性が自動販売機上のエキマトペを見ている写真。エキマトペのディスプレイには、電車の扉が閉まるイラストと「ピポンピポン」の手書き文字。アナウンスの手話映像と英語字幕も表示されている
上野駅のホームで、女性が自動販売機上のエキマトペを見ている写真。エキマトペのディスプレイには、電車の扉が閉まるイラストと「ピポンピポン」の手書き文字。アナウンスの手話映像と英語字幕も表示されている

こうしてオンテナで培われた「支援」を超えて「楽しさ」を追求する開発思想と、大企業としての社会実装のノウハウは、やがて社外のパートナーとの出会いを通じて、駅という公共空間を舞台にした新たな共創プロジェクト「エキマトペ」の開発へと発展します。

「東京オリンピック・パラリンピックのゴールドスポンサーという関係性があり、コロナで1年延期になった時に、JR東日本さんがフォーラムを開催しました。お互いのソーシャルな取り組みを話し合う場で、3社が登壇し、富士通からオンテナを紹介しました。そこでJR東日本さんから『一緒にやろう』という話を持ちかけられました」

この出会いは単なる偶然ではありませんでした。各社がすでに社会課題解決に向けた取り組みを進めていたからこそ、共通の価値観に基づいた協働が可能になったのです。さらに大日本印刷も加わり3社協働のプロジェクトが発足しました。3社それぞれの強みを活かした役割分担により、従来の単独企業では実現困難だった規模とスピードでの社会実装が可能になりました。

「JR東日本さんは駅という場所を提供でき、大日本印刷さんはフォントで感情を伝える技術を持っています。富士通はAIとシステム開発ができるということで、アイデアを形にして、JR東日本さんの場所で実証するという形でチームができました」

音を視覚化する挑戦と「楽しさ」の追求

駅の環境音を文字で表現する「エキマトペ」の開発では、当事者にとっての分かりやすさと、誰もが楽しめる体験価値の両立が追求されました。

「『ガタンゴトン』は絵本でも伝わりますが、それ以外の音をどう表現するかがポイントでした。聞こえない人、聞こえにくい人にとって、どう伝えたらイメージしやすいかを考え、平坦なフォントではなく、動きがわかるアニメーションを意識して作りました」

開発プロセスでは、当事者からのフィードバックを重視し、デザインの改善を重ねました。

「上野駅で実施した時に『キンコンカンコン』のベルのイラストが、ベルに見えずに別のものに見えるという反応がありました。今回は拡声器のようなデザインに変更し、より分かりやすくしました」

また、技術的な完成度を高めるため、AIの精度向上にも徹底して取り組みました。

「何日間も実際の駅にマイクとレコーダーを置いて音を収録し、AIで学習させました。晴れの日、雨の日、時間帯による人の多さなど、様々なシチュエーションでデータを取り、正解をひもづける作業に時間をかけました。その結果、上野駅での実証実験では、ほぼ100%の精度を実現できました」

エキマトペの最大の特徴は、オンテナと同様に、単なる情報保障を超えた「楽しさ」の追求にあります。

「オノマトペがポイントで、これがないと普通の情報保障になってしまいますが、これがあることで聴者も面白がって、SNSでシェアするような広がりを生むことができます」

この発想は、オンテナ開発時から一貫している本多さんの「一緒に楽しむ」という理念の直接的な発展形です。単なる情報提供ではなく、聴者にとっても新鮮で興味深い体験を創出することで、自然な形での相互理解と共感を促進しています。

共創が加速させる「楽しさ」の社会実装

本多さんの個人的な原体験から生まれた「一緒に楽しみたい」という理念は、まず「オンテナ」というプロダクトとして結実しました。そして、その挑戦は富士通という大企業のリソースと信頼を得て着実に社会実装され、ついには「エキマトペ」という企業間共創プロジェクトによって、駅という公共空間全体をインクルーシブな場に変える大きなムーブメントへと昇華しつつあります。

この一連の取り組みが示すのは、障がいによる「困難」を解消する(マイナスをゼロにする)だけの支援のあり方ではありません。障がいの有無に関わらず誰もが「面白い」「楽しい」と感じられる新たな体験価値(ゼロをプラスにする)を創造し、社会の側に自然な形でインクルージョンを促すという、新しいアプローチの可能性です。この動きは、社会全体に「心の余白」を生み出し、人々が互いの違いを認め合い、楽しむための新たな共感の輪を広げていくことでしょう。

※次回「富士通、当事者と共に誰もが楽しめるテクノロジー開発(後編)」は、8月25日に公開予定です

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伊藤 芳浩 (NPO法人インフォメーションギャップバスター)

特定非営利活動法人インフォメーションギャップバスター理事長。コミュニケーション・情報バリアフリー分野のエバンジェリストとして活躍中。聞こえる人と聞こえにくい人・聞こえない人をつなぐ電話リレーサービスの公共インフラ化に尽力。長年にわたる先進的な取り組みを評価され、第6回糸賀一雄記念未来賞を受賞。講演は大学、企業、市民団体など、100件以上の実績あり。著書は『マイノリティ・マーケティング――少数者が社会を変える』(ちくま新書)など。執筆記事一覧

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キーワード: #ビジネスと人権

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