「詩は人々の日常に向き合えるか」。詩人・谷川俊太郎が詩作する場面に立ち会おうと試みたドキュメンタリー映画「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」(杉本信昭監督、2014年・日本、カラー82分)が、11月15日から東京・渋谷のユーロスペースで上映される。(オルタナ編集委員=斉藤円華)
私たちは体験した出来事を、どのように言葉で表現しているだろうか。ただ思いつくままにつぶやいたり、時には振り返って言葉を選び直したりと、その在りようは様々だろう。
では、谷川俊太郎は、どうやって詩作するのか。座ってノートパソコンに詩を書く谷川は、はたから見ると「壮大な何か」と対峙しているようにも見える。しかし本人いわく「詩は自分の意識下からぽこっと出てくる」のだそうだ。
谷川が向き合う人々は、相馬高校放送部の女子生徒、イタコ、小平の有機農家、釜ヶ崎の労働者、諫早の漁民。そこからは、震災、原発事故、国策、自分ではどうにもならない境遇、そして生活の実感や喜びが垣間見える。
私たちは、目の前の現実と日々格闘しながら、その現実の一部となって生きている。そうした日々の中で、私たちは心象が「ぽこっ」と立ち上がる瞬間を感じているに違いない。ところが、私たちがそれを言葉にしようとしても、まるでピントがぼやけるように、うまくいかないことがある。一方、谷川の詩は、そうした心象を的確に言葉の網ですくい上げてくれるかのようだ。
しかし谷川は「詩というか、言葉をあまり信用していない」。言葉は全てを捉えてはくれない。そして「与えられた言葉」を話すことは楽で便利だが、それは自分で言葉を探すこと、あるいは自分の頭で考えることの停止とも言える。
監督は「ぼんやりと立つ事、黙っている事も言葉」と話す。私たちはしゃべったりつぶやいたりする。しかし、言いよどんだり立ちすくんだりした時にも、何かを伝えようとし、あるいは既に伝えていたはずだ。「行間」や「静けさ」を改めて意識させてくれる作品である。