私?難民ですけど――「ショート・ショート」(3)

作家・ジャーナリスト
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私?難民ですけど――「ショート・ショート」こころざしの譜(3)

早いものでもう6年になる。

悪魔の舌が模型のような街をなめていく映像にトゥレイン・ヘイン・テインは息を飲んだ。東京・高田馬場に開いた掘っ立て小屋のようなミャンマー料理店で遅い昼食をとっている時、揺れを感じた。

表へ飛び出すと高層ビルがコンニャクのように腰を振って踊っていた。テレビで大津波を見たのはその夜だった。バリバリと家々をなぎ倒して進む黒い巨波が通りを逃げ惑う女や子どもにのしかかっていく。

「うわあ、早く逃げろお、逃げるんだ」
「あっ、ころんだべやったよ。あー、だめだ」

小高い丘から携帯電話のカメラで撮影したらしく、周りの避難者の悲痛な叫びが聞こえてくる。

「インド洋大津波でもミャンマーの沿岸部でずいぶん死者がでたわね」

妻が目をはらしながら言う。「まさか、先進国の日本でこんなことが起こるなんて」。

電話が鳴った。仲間のひとりからで、東北へ支援に行こうという。

「だって、俺たち、日本の人にはずいぶんお世話になっているじゃないか」
「日本政府は難民に冷たいけどな」とトゥレインは言ってみた。

「そうかもしれない。だけど、親切な人も多い。あんた、いつも話しているじゃないか。われわれは日本人じゃないが、日本社会の一員だって」

ガソリン不足や宿泊場所を探すのに手間取り、現地に入ったのは桜前線に一歩遅れだった。ミャンマー人社会に声をかけたところ、20人近くが手を挙げた。マイクロバス3台を連ねての大旅行となった。

ミャンマー風焼きそばの材料とガスコンロを積み込んだ。まだ道路脇にはガレキが積み上げられ、隙間を縫うようにして車は進んだ。

水に浸かったままの家、マンションの屋上にひっかかっている車、陸に打ち上げられたフェリー船。だだっ広い空き地が震災前は市の中心街だったと説明されても信じられなかった。

車窓に映る暗鬱な風景がトゥレインに故国での苦悶の日々を思い出させた。民主化運動にのめり込み、逮捕寸前で日本へ脱出した。もう25年も前のことだ。ようやくのことで難民認定を受け、妻を日本へ呼び寄せた。あの時のうれしさは何物にも代えがたい。

ミャンマーに帰れば迫害されるのが明らかなのに、未だに難民として認められない仲間が何人もいる。そんな彼らも被災地にやってきた。安らぎの家を奪われた辛さはよくわかるから、と言って。

夕方、避難所に指定された小学校の体育館前に車を止めると、わあ、焼きそばだと若者が歓声をあげながら走り出てきた。風呂に入ってないせいか、すえた臭いがする。

ミャンマー人だとわかると「ミャンマー人も被災したの」と聞く。

「いや、東京から来たんだ。わたしら難民だから、困った人ほっとけないの」。そう答えると、意外だという顔で「そうか、親切さありがとうべや。おれらは津波難民ってとこが」。

薄暗くなった掲示板には家族を探す無数のビラが風に揺れている。

後ろから突然、あいさつされた。

「お隣に店を出しても構わないかい」

NPOのロゴ入りジャンパーを着こんだオヤジだった。横にアジア系の初老の男がニコニコして立っている。

「私はべトナム人、チャン・ハイと申します。フォーと揚げ春巻き持ってきました」

「うどんに春巻き、これはいけそうだね。いっしょにやりましょう」。トゥレインは歓迎した。

チャンは80年代にベトナムを小さな漁船で脱出、ボートピープルとして漂流しているところをオランダの船に拾われ日本に来たのだという。

「船から落ちて死んだ人もいた。悲しかったね。でも日本はベトナム人を難民として受け入れてくれた。感謝しかない。きょうは日本人を助けたいと思って駆けつけました」

その時、体育館の陰で、大声で怒鳴り合う声がした。何を言っているのか聞き取れないが興奮して殴り合っている。トゥレインとチャンが髭をはやしたふたりの男を引き離した。イスラムのスカーフをした大柄な女性が前に出てきた。

「私はトルコのNGOです。十年ほど前のトルコ地震の際、日本のNGOに助けてもらいましたから、そのお返しで震災直後から来ています。きょうはガレキ撤去をしました」

そう流ちょうな日本語で話しかけてきた。

「でも日本でボランティアに応募してきたトルコ人とクルド人が仲たがいをしてしまいました。いつまでたっても難民申請が認められずストレスがたまっているのでしょう。お騒がせしました」

自分の国を持たない世界最大の民族、クルド人はトルコ、イラク、イランに住んでいるが、どの国でも迫害されている。難民として流出した先でも、対立の構図があり、日本でも同じトルコ国民ながら、トルコ人とクルド人は頻繁に衝突事件を起こしている。

トゥレインはニュースで知ったが、まさか被災地に来てまでとは、驚いた。

ケンカがなんとか収まってタイミングで、よれよれの服を着た小柄な老女が握り飯を二つ両手に持って男たちに近づいた。

それを一つずつ手渡しながら、「私ゃ津波で息子を亡くしました。ちょうど、あんだたちと同じ年頃だったい。死んでしまって、もう怒鳴ることもケンカをすることもできねわ。あんだ方がうらやましいよ。遠い国から日本まで来てまだ殴り合いをしてっと。いろんな事情があるのだっちゃうけど、人間て悲しいね」。

二人はバツが悪そうにスミマセンと言いながら何度も頭を下げた。チャンが叫んだ。

「みなさん、おいしい焼きそばにうどんはいかがですか。春巻きもありますよ」
「肉の好きな人、ドネルケバブもありますよ」

トルコ人の二人が片目をつぶって、トゥレインを見た。3台の屋台の前に行列ができた。

「うわあ、どいづもおいしそうね」。疲れ切った様子の子連れ夫婦はいくらか興奮気味だ。

「ママ、私、ベトナムのうどんが食いたいわ」
「パパは、トルコの肉っこをもらおうが」

チャンから先日、久しぶりに手紙が届いた。「ミャンマーの民主化、おめでとう。故国もこれからは明るい未来が待っているに違いありません」。

そう、書いてあった。久しぶりにミャンマーに帰ってみようか、トゥレインは今そう考えている。

(完)

作家・ジャーナリスト
日常に潜む闇と、そこに開ける不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな 担い手。この短編小説の連載では特にNPOという新たな動きに注目、そこに関わる群像を通して、生きる意味、生と死を考える。

2017年2月7日(火)12:16

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