ナシールウッディンの「指輪はどこ?」(希代準郎)

◆「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(35)

 智彦がバングラデシュのNGOで働くことになったのはいくつかの偶然が重なったからである。
 津波で父と母そして妹が家ごと流された。避難生活、ガレキ撤去、葬儀。壊れた茶碗を見ても泥にまみれた人形に触れても涙が止まらない日々が過ぎると、色のない無音の世界に沈む自分がいた。補償金だ、保険金だと札束が飛び交った。そのお金を手に癒しの旅に出た。
 ロンドンで最初の偶然が起こった。通りを横断中にオートバイにはねられそうになったのだ。「馬鹿野郎、ぼやぼやすんな」。罵声が飛んできた。むっとして言い返し、殴り合いになりかけたが、智彦が日本人だとわかると相手は振りあげた拳を下した。「いやあ、悪かったな」と髭面の若者は恐縮し、お詫びにコーヒーでもと照れ笑いした。
 「俺はカマール。バングラデシュ出身の学生だよ。昔、日本にいて難民申請したんだけど認められなかった」。そう自己紹介した。入国管理局の収容所に入れられた後、仮放免。その期間中に自動車部品の工場で働いたものだから法令違反で強制送還された。しかし、バングラでは政治的迫害を受けるというので英国で難民として受け入れられた。「日本にいた時、ちょうど、あの津波があり、仲間と連れだって被災地までボランティアに行ったんだよ」
「ホント?場所は」
「何と言ったかな。魚がたくさんとれる港町だったな」
「石巻?気仙沼?」
「ビッグなハンマーみたいな名前の街」
「大槌町か」智彦の故郷、陸前高田のすぐ近くだ。
「壊れて流された家の柱や板で薪をつくり、それを売っているNPOがあってさ、それを手伝ったんだ」
 ふたりは、あの悲惨な日々を思い沈黙した。世界を放浪しているんだと打ち明けると、バングラの両親を訪ねたら、と勧められた。
 欧州からアフリカ、そして中東へと旅を続けながらバングラに着いたのは1年前の夏だ。カマールの両親が住んでいたのは、ミャンマーとの国境に近いイスラム教徒、ロヒンギャ族の住む地域だった。ちょうどサイクロンに襲われた直後で、街は水浸し。田も畑も泥海につかり、抜けるような青空の下、ポツリポツリと被災した家々がわびしく孤影を水面に映している。既視感があった。気がつくと涙が頬を伝っていた。
 突然の闖入者にも、両親は「カマールの友達かい。よく来てくれた」と大歓迎で、ロヒンギャ族について「もともとはアラブ系のイスラム教徒でな。ミャンマー側のラカイン州に住んでいたんだ」と解説してくれた。ミャンマーのアラカン王国の傭兵や従者としてミャンマーとバングラを行き来していたが、ミャンマーは彼らを自国民として認めず、バングラで難民化したのだという。
 「ひょっとしてカマールもロヒンギャ?」と聞く智彦に、静かにうなずき、「わしらは皆そうだ。カマールはミャンマーからバングラに逃げて来た難民の支援に乗り出し、政府の反感を買ってしまったんじゃ」。
 父親の案内で難民キャンプを訪ねた。泥でできた伝統的な家屋の多くが洪水で崩れかけている。7千人もの難民が10年以上にわたり暮らしていると聞いて驚いた。最近、ミャンマー側で軍がロヒンギャの村の掃討作戦を展開、家や木々も根こそぎ引き倒しブルドーザーで地ならしする挙に出た。棲家を追われた人たちが新たに国境を越えバングラになだれ込んでいるという。
 コミュニティーセンターにNGOが集まり、ゲストのインド人が寸劇を披露していた。題目は「ナシールウッディンの指輪」で、こんな内容だ。ナシールという男が夕方、友人宅を訪問すると家族総出で家の周りで探し物をしている。「妻が外出からの帰りに大事な指輪を失くしてしまった」と必死の様子である。ナシールもいっしょになって指輪を探すが、出てこない。ナシールがついにこう聞く。「このあたりで落としたというのは確かか」。友人は答える。「いや、実は向こうの橋のあたりで落としたようなのだが、あそこは草深いし暗い。この辺のほうが明るくて探しやすいと思ってね」。この寸劇は、真のニーズに応えることをせず、やり易さを優先するNGOのプロジェクトを皮肉っている。「人々が求めている本当に必要な支援とは何なのか」と問いかけているのだ。
 寸劇が終わると、NGOの面々は一様に気まずそうな顔をしている。
「NGOに完璧を求められても困る」誰かが発した一言がきっかけで激しい言い争いが始まった。
「われわれだって努力しているのに難民が協力してくれないじゃないか。援助慣れしていて自力でキャンプを改善しようという努力が足りないんだよ」
「キャンプ内でレイプや窃盗が跡を絶たないしさ」
「そうそう、力の強いボスが君臨し悪さばかりする。最近、夜になると町からトラックがやってきて若い女たちを連れていくらしい。売春させているんじゃないか」
 その時、議論を制するように年配の男が立ちあがった。
「援助は依存と腐敗を助長するものだ」と切り出した。「だがね、やりようはあるんだよ。2週間前、難民キャンプのおばちゃんに聞いたんだ。栄養不良の子はいるかと。いるよという返事。なぜと尋ねると、そりゃあ貧しいからさ。じゃあ、貧しくても子どもは太っている家はないかと尋ねると、あるという。そこでその家庭を訪問した。子が太っていた理由は、この近くの港で商品にならないカニやエビをもらい、それをすりつぶして団子にして離乳食として食べさせていたからとわかった」
 何人もの女たちがこの話に興味を持ち安いが栄養価の高い食材を持ち寄って給食を始めたという。一人が「参加型だな」とつぶやき、何人かがうなずいた。
 智彦は故郷を思った。今も、自宅に帰れず、難民のように辛い生活を送っている人達がいる。この難民キャンプにいる子どもは智彦自身であり、大人たちは自分の親であり親戚だ。
「お父さん、僕をここで働かせてくれませんか」
 カマールの父親は驚いた顔をした。
「キャンプの仕事は甘くないぞ」
「大丈夫、ここは僕の故郷と同じです。やるべきことがようやく見つかったような気がします。指輪をなんとか探し出さくては」
 智彦は永年の憂いが晴れつつあるのを実感した。
(完)

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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