ひな祭り、風の歌(希代 準郎)

◆「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(39)

 津波に押しつぶされた夕闇の原野にぽつんと黒い棺桶が屹立している。酔い覚ましがてら歩いて帰ろうとしたのはいいが、気まぐれに足を踏み入れた山側で道を見失った。崖ばかり探し過ぎたせいかもしれない。
 棺桶と見えたのは近づくと電話ボックスだった。窓ガラスが割れゆがんでいる。片側一面に泥がこびりついたままだ。 目を凝らすと木枠は赤。白地に黒く「TELEPHONE」とある。
「電話をおかけになりませんか」突然、後ろから声をかけられ、洋平は飛び上がった。山高帽に見事な口ひげ。ステッキにチェックのマント姿の男が微笑んでいる。
「驚かせてしまったようで失礼しました。私はマイケル、霊媒師をしています」
 悪酔いしたかなといぶかりながら、洋平は仮設居酒屋で飲んだ熱燗の本数を思い出そうとした。4本、いや5本だったか。会社が倒産してから飲んでばかりだが、酔っぱらうほどの量とは思えなかった。
「あんた、日本語がうまいな」
「ロンドンの公文で勉強しましたから」
「それにしても、霊媒師とはな」
「はい、この電話ボックスを使ってみなさんがあの世の人とお話をする媒介をしています」
「電話線はあるのかい」
「ホホホ、霊と人間の交信に電話線は不要です。霊という超自然的存在が人の中に入りこみますのでトランス状態でお話しいただくことが可能です」
 風が洋平の赤らんだ頬を撫でる。胡散臭い、そうお思いなのですね、とマイケルが人差し指を立てる。よろしい、もう少し詳しくお話しましょう。マイケルがステッキを一閃すると、突然、闇の中に映像が浮かび上がった。
 透明ガラスを挟んで年配の男が老女と向き合っている。
「ごめんな、母ちゃん。家に置いてけぼり食わしちゃって」
 謝る男に老女の容赦ない言葉が飛ぶ。
「お前ねえ、地震があったというのに母親を置いてどこへ行っていたんだい。おかげでワシは津波に飲まれてしまったじゃないか」
「急いで保育園へ息子を連れ取り戻しに行ったんだ。家へ戻ろうと思ったら、もう津波が来て」
「なんだ、そういうことだったのかい。孫の命を優先するのは当たり前じゃ。ワシもそろそろお迎えが来る頃だと覚悟しておったからね。こちらでは父ちゃんと仲良うやってるよ」
 男はほっとしたような表情を浮かべている。マイケルがステッキをさっと振った。今度は、ガラスの向こう側に夜叉の顔をした若い女が座っている。あの日、恋人と待ち合わせをしている間に、津波被害に合った気の毒な女性なんです。マイケルがそっとささやく。
「私だけ死んで悔しくてさ。アイツは待ち合わせの時間に来なかった。今頃、どこかで別の女とよろしくやってるんじゃないの?」
「いえ、調べてみたら、あなたの恋人も行方不明だということがわかりました。あなたに会いに行く途中、困っている高齢者を助けていて津波に飲まれたという目撃証言があります」マイケルがそう伝えると、女の姿はサッとかき消えた。間もなくして戻ってきた女は「確かに彼の霊は海底をさまよっていました。ありがとう。祈ってあげれば成仏してこちらの世界に来られるでしょう」
 誰もが心に屈託を抱えているんだ。洋平はそう思った。
「あなたもいかがですか」マイケルが声をかける。いや、と言いかけた時、冷たい雫が首筋に飛んできた。雨か、まさか。思い切って壊れかけたドアを開けると、海のにおいがした。満天の星が降るようだ。目の前に黒い受話器がある。
 あの日、中国からの技能研修生、雨桐(ユートン)が会社の寮で寝ていて津波に流された。熱があるのに出社した雨桐を無理やり帰らせたのは社長の洋平だった。雨桐は大丈夫、と言い張ったのだが、洋平はもうひとりの研修生、美友に寮まで送らせた。
 地震に襲われたのはそれから間もなくだった。美友と寮に駆け付けたが、雨桐は倒れた家具の下敷きになっていた。とぎれとぎれの歌声が聞こえた。ずっと練習してお気に入りだったひな祭りの歌だった。美友が一緒に歌って励ました。
「雨桐、いま助けるから」そう声をかけた直後、メリメリというものすごい音がして寮が津波に呑みこまれた。ごめん、僕らだけ助かって。雨桐を無理に寮に押し込めなければよかった、と何度悔いたことか。
 ♪金のびょーぶに うつる灯を
 かすかにゆする 春の風♪
 風の唸り声の中に片言の日本語の歌声が聞こえてきた。
「社長さん、社長さーん」受話器から洋平を呼ぶ声がする。受話器を耳に当てる。懐かしい声だった。
「雨桐だね」思わず叫んだ。
「社長さん、お久しぶりです。元気ですか」
「ごめんな、雨桐、僕のせいで」
「社長さん、私のことを思って、寮で休ませてくれたことわかっています。社長さん、悪くない。やさしい人。ありがとう」
「雨桐、寮じゃなく会社にいれば助かったのに」
「そんなことないです。社員は家族と同じという社長さんの教え、私好きでした。私も家族のひとり。だから、寮で休ませてくれた。家族じゃなければ、病気でも会社で仕事続けさせられた。だから私、うれしい。少しも恨んでいません」
「ありがとう」
「社長さん、死ぬなんて考えちゃダメ。会社建て直して、仲間大切にしてください。ありがとうの気持ち伝えたくて電話しました。でも、もう行かなくては」
「雨桐、わかった。もう一度、頑張るよ」
 電話は切れた。静けさが戻ってきた。ドアを押して外に出た。真っ赤な唇のマイケルが白い液体入った杯をふたつ持って近づいてきた。
「白酒ですよ。乾杯といきましょうか」
のどがカラカラだった。グイと杯をあおった。うまい、そう思いながら、洋平は眠りに落ちていった。風が歌うのを聴きながら。
 ♪春のやよいの このよき日
 なによりうれしい ひな祭り♪
  (完)

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希代 準郎

きだい・じゅんろう 作家。日常に潜む闇と、そこに展開する不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな担い手。この短編小説の連載では、現代の様々な社会的課題に着目、そこにかかわる群像を通して生きる意味、生と死を考える。

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