何故、COP15が失敗し、COP10が成功したか?

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COP10(第10回生物多様性条約締結国会議)会合は10月30日未明、「愛知ターゲット」「名古屋議定書」を採択して幕を閉じた。深刻化する南北の対立のなかで、最後の瞬間まで採択が危ぶまれた。議長の松本龍環境相は「積んでは崩される積み木を何とか重ねる思い」で最終日を迎えたという。

その最終日、多数の持ちこし案件の議事のスピードは遅く、時間延長が続いて焦燥感が徐々に募るなかで、やっと深夜の午前1時半に名古屋議定書となる案件が採択された。重要案件の採択に、会場から拍手がわき上がり、そして午前3時、すべての案件を終了させてCOP10は閉幕にこぎ着いたのだった。

とくに南北対立の争点だった遺伝資源の利用と利益配分(ABS)に関わるルール作りの合意(名古屋議定書)に関し、中南米などの一部諸国はぎりぎりまで主張を繰り広げた。しかし最終的に内容への不満を記録に残すことを条件に、全員一致の採択(国連議決の原則)を邪魔しないと発言したことで、何とか採択が実現したのだった。

筆者は、延長が続く夜の会議場を後にして、ネットでの実況を見守ったのだが、その結末を見て正直なところほっと胸をなで下ろした。

その時に思い浮かんだのは、昨年12月のコペンハーゲン会合(第15回気候変動枠組み条約締約国会議・COP15)が「失敗(不採択)」し、COP10が「成功(採択)」した理由は何だろうという疑問だった。

コペンハーゲンに現地入りし、そこでも最終日の翌日まで延長戦が続き、そして最終局面での採択断念の場面が記憶によみがえったからだ(COP15では本会議場から閉め出され、ネット中継のみだった)。

COP10では、様々な妥協とともに資金・援助の積み増しが功を奏して、何とか取りまとめに成功したというのがマスコミの一般的解釈のようだ。だが、それはCOP15でも同様であり、資金・援助の積み増し状況の規模は、COP10においては、COP15の時より一桁も少なかったのである。

COP10では、3年間で20億ドルの支援(菅首相)が提示された程度だったのに対して、COP15では2010~12年まで300億ドル、2020年までに毎年2000億ドルの資金提供が打ち出されたのだった。

何がこの大きな違いを生んだのだろうか。

それは、つまるところ、2つの条約の成り立ち方の大きな差異からくるものと考えられる。気候変動枠組み条約(以下、気候条約)は、排出抑制を達成目標におく、規制と制約を基本とした枠組み形成である。規制と制約を押しつける、ないしは枠のはめ合いという性格が全面に出ている条約である。とくに途上国や新興国は、経済発展の制約となる温室効果ガス排出抑制の新規の枠組み(ポスト京都)に対する抵抗は大きかった。

それに対して、生物多様性条約(以下、多様性条約)は、「保全」とともに「利用と利益配分」の枠組みの形成を基本においたものである。とくに名古屋議定書は、医薬品など遺伝資源利用による利益を原産国(先住民を含む)に配分(還元)する取り決め事である。

いわば、失うものの取り決め事(気候条約)と、得るものの取り決め事(多様性条約)という性格の違いが、歩み寄りの距離感に大きな違いをもたらしたといってよいだろう。

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2010年11月16日(火)11:01

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