南三陸町、サケの遡上を見られた川がコンクリートで覆われる危機

南三陸町内を流れる河川

三陸沿岸を襲った大津波は川を伝って町に侵入し、内陸でも広域に被害をもたらした。そのため宮城県では、河川の両岸に高い堤防を築く方針を決めた。安心のために必要という声がある一方で、町の景観の劣化を懸念する声もある。

河川の津波対策には、大きく分けて2つある。河口部に設けた水門で守る方法と、河口から上流に向けて必要な高さの河川堤防を築く方法だ。

宮城県内には防潮水門が17カ所あったが、津波で16カ所が壊れて機能しなかった。水門の作業に伴い犠牲者も出た。同県土木部は、2012年2月発表の「東日本大震災 公共土木施設等復旧方針」で、これまでの水門方式優先を改め、川幅を広げて両岸に十分な高さの堤防を建設することを明らかにした。

2011年末までに災害査定を実施して必要な堤防の高さなどを検証した。現在はコンサルタントに設計を発注している。地域住民への説明会は4月以降に順次開催し、早いところでは2012年度中に着工する。従来の堤防が今回の津波に耐えられなかったため、新たな堤防は、より高く分厚い構造にするという。

同県の南三陸町は、30メートルを超える津波で平野部にあった町の機能を全て失った。町内の主な河川は県の管轄下にあり、堤防建設も県が主導する。ただし、「被災市街地復興推進地域」に定められた志津川地区の中心部では、地盤沈下を補う盛り土や河川堤防の賛否も含めて、町が独自の復興策を模索中だ。

身近な川に溯上してくるサケは、南三陸町の秋の風物詩だった。河岸が堤防で覆われると、住民や観光客が愛した景観が損なわれる。

志津川町と歌津町が合併して2005年に誕生した南三陸町は、2007年の町勢要覧で「自然と共に生きる『海業と防災の町』」と宣言している。佐藤仁町長が合併5周年に制定した町民憲章にも、大自然を象徴的に詠み込んだ。震災前以上に魅力ある町として生まれ変わるために、今こそ「自然との共生」の中身が問われている。(オルタナ編集部=瀬戸内千代)

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瀬戸内 千代

オルタナ編集委員、海洋ジャーナリスト。雑誌オルタナ連載「漁業トピックス」を担当。学生時代に海洋動物生態学を専攻し、出版社勤務を経て2007年からフリーランスの編集ライターとして独立。編集協力に東京都市大学環境学部編『BLUE EARTH COLLEGE-ようこそ、地球経済大学へ。』、化学同人社『「森の演出家」がつなぐ森と人』など。

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