ミャンマーで洪水、被災した村人に生活必需品の支援を

記事のポイント


  1. ミャンマー南部で、ダム決壊による洪水で260世帯が避難を強いられた
  2. 名知仁子医師は、地域のボランティアと協力し衣類や日用品を支援する
  3. 支援物資の選定にあたっては、水や衛生の確保を第一に考えた

日本でミャンマーの現状が報道されることは、なかなかありません。物価高騰による生活苦に追い打ちをかけるように、7月末にはダムが決壊し洪水が起きました。現在、近くにある2つの村約260世帯への支援が求められています。私たちは2011年の東日本大震災を支援した経験を踏まえ、水や衛生の確保につながる生活必需品や衣服の応援を始めました。 (NPO法人ミャンマー ファミリー・クリニックと菜園の会「MFCG」代表理事・医師・気功師・名知仁子)

被災地への唯一の交通手段である船で支援物資を運ぶ

■水や衛生の確保につながる物資を支援

MFCGが活動拠点とする町・ミャウンミャでは6時間しか電気が来ず、インターネットも日常的につながりません。さらに物価高騰とミャンマーチャットの激安が、人々の暮らしを圧迫しています。

そのような中、7月末に南部のエーヤワディ管区でダムが決壊し、洪水が発生しました。これにより近くの2村に暮らす計264世帯が被災し、地域の僧院(仏教寺院)に避難せざるを得ない状況になっています。

MFCGはすぐ僧院に連絡を取りましたが、殆ど援助を得られていないといいます。ミャンマーでは僧院が駆け込み寺の役割を果たし、軍事政権に追われた人々や、今回のように災害で被災した人々が避難しています。

エーヤワディ管区は河川が多いのですが、橋などのインフラがほとんどありません。船で逃げなくてはならないにもかかわらず肝心の船がなく、いまだに高床式の壊れた家で危険にさらされながら暮らしている人もいます。

MFCGは地域の人たちとボランティアチームを組み8月6日、被災した2村のうち167世帯にNFI(Non-Food-Items:非食糧物資)を配布しました。

その内容は、1世帯ずつに石鹸1バー(4個分)、歯ブラシ(大人用2人分・子ども用3人分)、行水用の桶1個、うがい用のコップ1個、懐中電灯1個、下痢・脱水予防用のスポーツドリンク粉末3個、雨水を貯める大型コンテナ―1個、有志から集めた洋服です。

合計約40万円かかりましたが、コンテナを運ぶトラックや船を借りることができ、避難した村長さんをはじめ皆さんが喜んでくださりました。ロンジー(民族衣装)一つで着の身着のままで避難してきた人がほとんどだったため、特に衣類と懐中電灯が喜ばれました。

私は、2011年3月の東日本大震災後に緊急医療支援で石巻での活動に従事した経験があります。その時も、食料とともに喜ばれたのが男女用の下着や生理用品でした。

しかし、もう一方の村の97世帯を含めてまだ充分な支援が行き渡っておらず、新たなボランティアチームを結成します。こちらにも同様に、生活必需品の応援(約14万円)を行う予定です。

村人が避難した僧院で衣料や日用品を配布

■物価高騰とガソリン不足が支援活動を直撃

現在、ミャンマー国内では物価高騰が続き、人々の生活が成り立たなくなっています。特にガソリンはひどく、1リットル3500チャット(約240円)と村人の日雇い日給とほぼ同じ金額です。

活動地では朝の7時~10時にバイク1台につき0.5リットルだけを配布され、なくなり次第閉店します。町に2店しかないガソリンスタンドには長蛇の列です。

ガソリンの配給を得られず、MFCGでもメンバーの一人が仕事場に来られないということが起りました。今後が見通せない状況が続く中、誰一人取り残すことのない地球を目指し、皆さまとともに進んでいきたいと感じています。

MGCGの活動内容や支援の情報は、ホームページに掲載しております。

https://mfcg.or.jp/

Satoko Nachi

名知 仁子

名知仁子(なち・さとこ) 新潟県出身。1988年、獨協医科大学卒業。「国境なき医師団」でミャンマー・カレン族やロヒンギャ族に対する医療支援、外務省ODA団体「Japan Platform」ではイラク戦争で難民となったクルド人への難民緊急援助などを行う。2008年にMFCGの前身となる任意団体「ミャンマー クリニック菜園開設基金」を設立。15年ミャンマーに移住。

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キーワード: #SDGs

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