記事のポイント
- 大阪万博の大屋根リングには、国産の木材が7割程度、外国産が約3割使われた
- 外国産は輸送時にCO2が排出されるが、環境よりコストが優先される結果となった
- その他、海洋プラごみや子どもの体験格差から、万博のサステナビリティについて考える
2025年4月13日、大阪・関西万博が開幕する。世界中からたくさんの人やモノが集まり、地球規模のさまざまな課題に取り組むために、世界各地から英知が集まる場とされる。一方で、万博のサステナビリティについては課題もある。(CLASS EARTH株式会社 代表取締役・高岸 遥)
大阪万博は、2005年に開催された「愛・地球博」に続き、20年ぶりに日本で開催される国際博覧会である。一方で、サステナビリティについてはさまざまな課題がある。
例えば、今回の万博の象徴となっている、藤本壮介氏がデザインした世界最大級の木造建築となる「大屋根リング」だ。
建築デザインとして楽しみな反面、素材となる木材に外国産が3割程度使われていることは残念なことである。
運搬によるCO2排出量の高い外国産の木材を輸入した理由は、コスト以外に思い当たらない。
■日本には使うべき木材が豊富にある
昨今の日本の深刻な林業問題を鑑みると、日本には使うべき木材が豊富すぎるくらいにある。また、間伐が必要なエリアも関西に多く存在する。
針葉樹から広葉樹に変えれば、森の豊かさが改善し、保全できる動植物も増える。再生林になることで、CO2の吸収率も向上する。
万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマを掲げている。
「生態系を回復させる大きな木造リング」という要素が含まれていれば、ネイチャー・ポジティブ(Nature Positive)に貢献する建築仕様とも言えた。これは検討されたかもしれないが、結果的には実現しなかった。
この判断は誰の責任なのか。建築家を批判するべきではないと思う。
■海洋プラごみになる人工芝をなぜ使ったのか
海外パビリオンの縮小出展で空きスペースが発生した際には、このエリアの新たな利用方法が検討された。しかし、その結果はまさかの人工芝の採用だった。
しかも生分解性の素材でもない。
万博会場は、大阪湾の中にある大阪の夢洲(ゆめしま)。海の上である。
人工芝の海洋マイクロプラスチック問題は、東京湾で話題となってから年月も経っているにもかかわらず、採用されたということになる。それはなぜなのか。
これらの仕様策定が進んでいた頃、万博はさまざまなメディアで予算問題、工期問題が、ことさらに取り沙汰されていた。
予算の増加も工期の遅延もこれ以上許してはならないという世論。
一方で、環境問題の話はほとんどメディアに出てくることはない。
その結果、予算と工期を圧縮する目的として環境負荷対策の優先度を下げることは、一番効率が良かったはずだ。
このような判断がなされる状況にさせたのは、日本の社会全体の焦点、世論の作り方ではないだろうか。
インターネットが主流となりつつある今、メディアにとってはワンクリックを稼ぐことが利益となり、閲覧者が思わず開きそうなタイトルを画面上に並ばせる必要がある。
環境問題を取り扱う記事はほぼ誰も開かないのが現状だ。
そこにしわ寄せが来るのは当然の流れである。
■万博という場は、今の時代に必要なのか
万博という場が、今の時代に必要なのかという論点もある。
少なくとも子ども達の教育においては、非常に有意義な場所となるに違いない。むしろ、その一点においての価値だけでもやる意義があると考えている。
現在の日本の子ども達の体験環境は、都市では、より限定的になった。
自然が周りに少ないだけではなく、「四角いデバイス」に時間を奪われる。能動性や協調性を育み、五感を通してソーシャルキャピタルを醸成する環境を得られるかは、親の先行した考えや努力、資金力が必要だ。
そのような社会環境から、子供たちの教育格差は大きくなる傾向にある。
万博は、あらゆる国が一堂に会し、自分の国の可能性、魅力を体験型で発表する場である。
修学旅行などの機会で活用することで各家庭の教育環境に左右されず、世界には多様な国があるということを、画面ではなく体感して学ぶことが可能だ。
日本のパビリオンも前回ドバイ万博に続き、今回も豊富な文化資源を発信し、多くの日本人にとっても未知の体験をもたらすだろう。
世界を一周したかのような不思議な1日、そして日本を誇りに思える日を過ごせるのは、子ども達のこれからの人生において、大きな糧となるはずである。
未来社会を生きるのは子ども達だ。
子ども達にとって大きな学びの体験の機会となっているか、そして運営にまつわる全ての判断が、環境おいても適切な配慮がなされているか。1人でも多くの人に見守ってほしい。