
写真E、Fも、都区内の水辺だ。Eの画面左側、草に引っかかっている白い四角片は、お茶菓子などにする干し梅を個装していたパッケージで、長辺約6.5cm。パッケージをこのサイズまで拡大すると右側のスッポンの甲羅の横幅は25cm。甲長は35cm近くか。それにしても具体的な大きさを推測する比較対照物が、本来、そこにあるべきではない煙草の吸殻、レジ袋、菓子のパッケージというのも、残念な現実だ。
Fは右下にスッポンがいて、左上にカルガモがいる。カモと比べてサイズ的に見劣りせず、重量感ではむしろ圧倒しているのが見て取れる。

こうやって観察していると、これほど存在感のある生きものが、大都市の住宅街の水辺で静かに暮らし続けていることに、驚きとある種感銘を禁じ得ない。そして彼らもまた我々とともに、生命のつながりの環を形づくっているのだ、と改めて実感する。古くから食卓にのぼっていたのは事実だが、単に「滋養強壮の食材」というだけではない姿が、そこにはある。しかし、その彼らの生きる世界も大きく変わりつつある。
学生時代、不忍池で、カワウの観察がてらカルガモの親子を見ていたおり、同行の大先輩が、「時々、子ガモが急に見えなくなることがある。それは、水中に巨大なスッポンがいて、引きずり込んでいるからだよ。」と、「池の主」を語るようにつぶやいたことがあった。
その目は、「そんな大きなスッポンを見たことはないだろう」というように笑っていた。
当時の私は、そもそも「野生」のスッポンを見たことがなく、雛を水中に引きずり込んで食べている姿は想像もつかない。よく冗談を言う先輩だったこともあり、その巨大スッポンについては、ガメラなどのイメージと重なった、今でいう都市伝説の不忍池バージョンというイメージで聞いていた。
近年、不忍池には外来のカミツキガメやブラックバスなども生息するという。南岸のハスの観察池の西では、25cm内外の甲羅を背負ったアカミミガメもよく甲羅干しをしている。いずれも餌となる生物など、スッポンとかなり競合していることだろう。
カルガモの雛が突然水中に消えたとしても、スッポンが犯人であるとは、かつて以上に断定し難い。もし今、この池で観察会をご一緒したならば、先輩は、どんな都市伝説を語ってくれるのだろうか。