震災当時、東北支店長を務めていた浅川人美さんは、震災から約半年後、復興関連の責任者として会社から特命を受けた。被災地のために何ができるかを考え、「元に戻すのではなく、今までを超える東北に」と決意した。
地域の人を主役に、新たな産業や雇用を生み出すため、ビジネスモデルを共創することはできないか。事前のリサーチや偶然の出会いを経て、また、他の社内メンバーとも企画を練りながら、構想がまとまっていった。陸前高田をフィールドに、地域の方が集まって話せて、新たな取り組みを始める後ろ支えもできる場をつくるというものだ。
アイディアを膨らませるミーティングで大切にしたのは、「Yes,and…」という考え方だ。プロジェクトのメンバーには、東北や東京など、社内各所のスタッフ約10人に声を掛けた。上下や性別関係なく、多様な意見を受けようという浅川さんの思いがあった。
「意見が拡散して最初の思いと違う方向にも行くこともある。しかし、俯瞰的に見て面白い」(浅川さん)。最初は「そんなこと、やったことない!」という案も、このルールのもとでメンバーが手段を提示し、柔軟に実行策が生まれる。「Yes,and…」を通して、社内メンバーの考え方がどんどん変わっていったという。
■多様な連携から新たな試みを生む場として
企画がまとまった翌年2012年の5月からの展開は早かった。プレゼンはいきなり社長に。社長が早速「良いアイディアだ」と言ってくれ、即座に実施が決定した。「うちの会社の財産は人。人の育成を考えるチャンス。ここに携わった社員が、違う考えやモチベーションを持ってもらったら、それが財産になる」。
プレゼンを経て、社長とその想いを一つにした。9月下旬に完成し、10月下旬にオープン。産学官の連携が必要と考え、社内での協力要請や地域住民、自治体、NPO団体の意見を聴くだけでなく、他の企業や市議会議員、県立大学の先生などからも広く要望やアドバイス、協力などを集めた。