論説委員コラム
今年も「3・11」がやってくる。かつて東日本大震災で被災した現場に立つと「もうここまで復興したか」、そういう感慨が湧いてくる一方で、「まだ時間がかかりそうだ」という複雑な思いが交錯する。
建物や道路などモノは作り直せても、亡くなった人や思い出は二度と帰って来ることはない。何度も繰り返され、今も叫ばれ続ける「復興」自体、手垢のついた言葉になってしまった。そろそろ、マイナスからゼロに戻す復興ではなく、未来に向け新しいものを生み出す時を迎えているのではないだろうか。
「いつまでも復興と結び付けられるのはどうも」と熊谷晃弘さん(34)は表情を曇らせた。津波でブドウ畑が水没した岩手県・陸前高田の神田葡萄園社長である。ブドウの木の剪定が終わりこれから芽を出すという大切な時期だっただけに若木の多くが枯れて死んだ。救いは塩分が早めに下へ行き土壌が回復したこと。ブドウ畑の再生が復興のシンボルとされた。
明治38年創業の老舗ジュースメーカーだが、6代目社長の熊谷さんが父から代替わりした3年前、葡萄酒製造免許を取得し、広田湾、気仙川の支流に囲まれた三陸のテロワールを生かしたワインづくりを始めている。
「東京の西洋料理店で働いた経験からこれからはワインの時代だと確信した。地元の人においしい岩手のワインを日常的に飲んでもらいたいし、都会からも人が来てほしい。岩手にワイン文化を広めるのが夢」とワイン産業の振興に意欲を示す。
いま日本ワインはちょっとしたブームだが、その歴史は明治初期の山梨県・甲府にさかのぼる。現在、生産量は山梨がトップで長野、北海道、山形と続き、岩手は第5位だ。しかし、明治時代以前、野山に自生していたヤマブドウを発酵させ酒として飲む生活文化を持っており、岩手は「ワイン発祥の地」とも言える。
1960年代に地域振興のため花巻市大迫町でワインづくりが始まったものの、長い間、大手メーカーがつくる甘味果実酒の原料供給地にとどまっていた。しかし、1986年県北の葛巻町で自生のヤマブドウを使ったワインづくりを高橋吟太郎町長が導入、盛岡市近郊の紫波町でも自家畑のブドウを原料とする自園自醸のワイナリーが誕生した。このスタイルが大震災以降、急速に広まりワイナリーの新設が相次ぐ。その数は10軒に達している。情熱にあふれた若い人の参入も目立つ。
温暖化で全国的に気温が上がっているなか、涼風「やませ(山背)」が吹く東北の冷涼な気候が評価されているともいわれる。
熊谷さんは、ワインの名前を、リアス式海岸である三陸の象徴になりたいという思いから、「リアスワイン」と名付けた。原料となるブドウはナイアガラ、キャンベルアーリーが中心で、ケルナー、アルモノワールも手掛けている。
ことしはソーヴィニヨン・ブランと並んでアルバリーニョにも挑戦した。「アルバリーニョはスペイン北西部、ガリシア地方のリアス・バイシャスのブドウ。まさにリアス式海岸の名前の由来となったところ。アルバリーニョからつくった白ワインはミネラル感があり、塩味がきいた独特の味。三陸のカキや魚介類とよく合うはず」と自信をみせる。
仲間も増えている。陸前高田市が進めている「発酵の里エコ・ガーデン&ファーム」プロジェクトは発酵と健康をテーマにしたユニークなテーマパークだ。津波で本社・工場が全壊しながら見事に再建を果たした醤油メーカー、八木澤商店や日本酒メーカーなど十社がプロジェクトを担い、熊谷さんもワイナリーとして参加している。
震災直後から地元企業の支援を継続している東京のソーシャルビジネス・ネットワーク(SBN)がこのプロジェクトに協力しており、いわば、東京と地元の社会起業家の精神を集積した構想でもある。町野弘明SBN専務理事は「発酵の里はユニバーサル・タウン陸前高田の創業事業であり、ユニバーサルな就業環境を整備する。最近日本ワインが世界的に注目されており、大きな可能性を感じる。将来は日本からワインを輸出したいという夢を描いている」と話している。
もちろん、日本でワインをつくるのは簡単ではない。最近来日した仏ボルドーのシャトー・ラフィット・ロートシルトのオーナー、サスキア・ド・ロスチャイルド女史に、日本ワインについて聞いたところ、「日本ワインは注目されておりポテンシャルはすごくあると思う。課題は気候。特に日照が日本は足りないところが多い」と分析してくれた。
山梨県・勝沼にある中央葡萄酒の「キュヴェ三澤 明野甲州2013」が世界的なコンクール、デキャンタ・ワールド・ワイン・アワードで金賞に輝くなどこのところ日本ワインは世界的に評価されてきている。
ワインがこれから岩手の、そして東北の新たな産業として伸びていけば、復興ではない、本当の経済発展を現地にもたらしてくれるものと期待している。
(完)