こうした一連の会議の成果は2000年のMDGs(ミレニアム開発目標=8目標)としてまとめられました。国とNGOが主たる担い手だったにもかかわらず、BP、ヒューレットパッカード、ネスレ、ユニリーバなど欧米の先進企業は早くも、経営の中にMDGsを取り込み、自社の活動をMDGsの目標と関連づけしました。
同じ2000年に決まったグローバルコンパクトの影響もあったに違いありません。これは人権、労働、環境などの分野で10原則を示し、企業に働きかけを求めたものです。かつて70年代に多国籍企業の不適切な行動に振り回された経験から国連と企業とは必ずしも関係がよくありませんでしたが、MDGsで一気に距離が縮まりました。
企業サイドからは当時、経営の視点から社会貢献、社会的価値を意識したCSR、BOP、CSVに関心が集まり、一方、国連からは、開発の視点からビジネスセクター向けにPRI、ESG、BCtA(Business Call to Action)が打ち出されました。価値観が共有され始めた中で、共通言語の役割を果たしたのが、実はMDGsでした。
MDGsでは出遅れ切歯扼腕していた日本企業は、後継のSDGs(持続可能な開発目標=17目標)が2016年からスタートするや、待ってましたとばかりに、経団連が企業行動憲章を改定して政府と二人三脚でSDGsに本格的に取り組み始めました。
SDGsは対象を途上国だけでなく先進国まで広げたうえで、企業を主役として巻き込んでおり、渡りに船でした。
このように冷戦構造崩壊後、小さな流れがひとつの大きな河として各セクターがひとつにまとまり、驚くような大きなうねりとなり30年の時を経てわれわれの前に現れているのです。冷戦終焉が地球の「今」と「明日」のために私たちに贈ってくれたのが、SDGsなのです。
国連は日本ではあまりにも理想化され過ぎています。その期待の裏返しから過剰に批判する人たちも多い。しかし、実体はその中間だろうと思います。
地球が、あるいはそこに住む多くの人が危機に瀕している時には、政府も経済界も市民社会も力を合わせて解決策を探ることが求められます。世界政府が存在しない以上、その扇の要の役割は国連に期待するしかないのでしょう。(完)