世界遺産白川郷にほど近い日本が誇る観光地のひとつ飛騨高山。岐阜県の山奥にある人口10万人に満たない小さな町が輝いてきた理由。それは飛騨の匠や高山祭の祭り屋台、誰もが惹かれる風情を残す古い街並み、そして圧倒的なブランド力をもつ木工家具生産といった「木の民の文化」が年間470万人ものを観光客を惹きつけてきたからです。その独自性の高い価値は気の遠くなるような長い年月・歴史が創り上げてきたものです。(中畑 陽一)
しかし今、高山は新型コロナウイルスのまん延による観光客の激減で大きな危機の中にあります。常に観光客で賑わっていた古い町並みは見る影もありません。それだけではなく、人々の日常も脅かされています。私自身の生まれ故郷でもあり、今こそその貴重な文化、町、人を多くの方に知っていただき、いつか足を運んでいただければと思います。
高山らしさが花開いた江戸時代
前回古代から奈良時代にかけて飛騨の匠を育んできたオープンな飛騨の土壌について触れたように、ほかにはない地域資源、すなわち良質な木材とその卓越した匠の技が揃い、日本に名を轟かせた飛騨の匠ですが、その価値が歴史上再び結実するのは江戸時代です。現在の高山の町並みができた金森長近(ながちか)による街づくりが行われた時代です。
「誰だそれは」、と侮ってはいけません。近年大河ドラマでは明智光秀、井伊直虎など若干マイナー(失礼)な武将にスポットが当たっていますが、金森長近も彼(彼女)ら同様に、魅力的で波乱万丈なストーリーをもつ武将なのです。