細野豪志議員と森本・元環境次官が語る「原発事故後」

2011年3月11日の東日本大震災と、その直後の原発爆発事故から間もなく10年を迎える。事故後に原発事故収束担当大臣を務めた細野豪志衆院議員が2月末に『東電福島原発事故 自己調査報告』(徳間書店)を出版するのを前に、当時、内閣官房で原子力規制委員会の創設、環境省で除染や中間貯蔵施設などの立ち上げに携わった森本英香氏(元環境事務次官、現・早稲田大学法学部教授)との対談(同書の一部)をオルタナに寄稿した。その全文を掲載する。(オルタナ編集部)

巨大国家事業となった除染、除染土の中間貯蔵施設、被災地の廃棄物処理、放射線リスクに関連した健康管理、そして間接的ではあるが原子力の規制。3・11を通じて環境省の役割は急激に拡大した。森本英香氏は、優秀だが線が細いと言われてきた環境官僚のイメージを大きく変える異色の存在だった。福島には依然として乗り越えなければならない課題が残っている。復興の最前線で福島と関わってきた森本氏から、除染土の再生利用、中間貯蔵施設の将来構想、リスクコミュニケーションのあり方などの現状と課題を聞いた。

写真左から森本英香氏(元環境事務次官、現・早稲田大学法学部教授)と細野豪志衆院議員

細野  森本英香さんは福島の原発事故以降、私とは因縁(いんねん)浅からぬ仲です。3・11の時、森本さんは環境省自然環境局の審議官でしたね。

森本  はい、そうです。

細野  自然環境局というと、国立公園などを担当してるイメージですけれど、具体的にはどのような仕事をされていたのですか。

森本  あの時は小笠原が世界遺産になる時期で、そのための作業をしていました。3・11の時は次のステップとして奄美や沖縄を世界遺産にするための準備で沖縄におりました。

細野  大事な仕事なんでしょうけど、少し楽しそうな(笑)。

森本  おっしゃる通りですね(笑)。

細野  それがぐっとシビアなところに引き戻されたのが、あの原発事故だったと思うんです。自然環境局の中にはペットを扱う部門があるんですよね。

森本  はい。3・11以降、自然環境局としてできることはないか考えながら毎日悶々としていたんですけれど、たくさんの方が避難されるとペットが残されてしまうという状況が分かってきました。特に福島は大型犬の飼育が多かったので、多くの大型犬が放置されているとの指摘を大勢の方々から受けました。

そこで、元上野動物園園長の中川志郎さんという方が理事長を務める日本動物愛護協会という財団と協力して対応を始めました。福島の帰還困難区域に防護服を着て入りまして、他にも福島県の獣医師会や環境省と県、それからボランティアの方とも一緒になって救出活動を行い、三春町に作ったシェルターに保護しました。

細野  7月くらいからかな、避難区域に置き去りにされたペットについて、国内外で動物愛護の面からの批判が高まりました。東日本大震災がきっかけとなって、水害とか地震などの災害に遭った時もペットと一緒に避難するというのが一気に進みましたよね。

森本  そうですね。ペットが家族だと思っている人が多いですから、ペットを含めた避難計画を考えるようになってきたと思います。

細野  そういう仕事をしておられた森本さんに、新たな原子力の規制機関を作るという重たい仕事が回ってきた。当時、私は原子力の事故担当大臣だったので、新しい規制を作る必要性を一番強く感じていたんですが、保安院と同じように経産省の下に作ることは無理だと。

しかし、全く独立したものを作るのでは責任の所在が明確にならないので、さんざん悩んで規制官庁である環境省をベースに作ろうということになった。当時次官だった南川(秀樹)さんに相談したら「ああ、でしたら大臣、いいやつがいます」と。「今、力が余っていまして、将来環境省背負って立ちますから」って連れてきたのが森本さんでしたよね。

森本  全然知らない世界でしたが、やってほしいということで。あの時に細野大臣に面接していただいたのを覚えています。

細野  あれを面接と受け取ったんですね(笑)。

森本  はい、面接だと思っていましたけど(笑)。

細野  森本さんの中ではやる気になっていたでしょう、あの時。

森本  そりゃあもう、やれと言われたらなんでもやるスタンスですので、そのつもりでいました。ただ、どうやれば良いかさっぱり分からなかったというのが正直なところです。

細野  環境省って能力も理想も高い人が多いんだけど、新しいことには慎重な性格の人も多い。そんな中で南川さんと森本さんには本当に助けてもらいました。あれから環境省の仕事の幅がぐっと広がりました。災害廃棄物の処理、除染と中間貯蔵、さらには福島の健康管理にまで関わることになった。

森本  そうですね。今も福島の復興政策の一つとして、汚染からの再生はもちろん、さらに前に進むところまで環境省として関わらせていただいている感じだと思います。

細野  今でも私のことを「復興大臣をやっていた」と間違って覚えている人がたまにいて。そう誤解されるくらい原発事故収束担当大臣と環境大臣を兼務して復興に直接関わるようになった。皆さん、その変化によく付き合ってくれたなという気持ちです。

森本  当時の環境省は従来の規制一筋からの脱皮が始まっていたとは言え、まだまだ限られた狭い世界だけで活動していました。しかし、細野大臣の時に新しいステージに入ったのだと思います。未知の世界にも飛び込むようになった。特に若い人たちは柔軟で、福島に入ってものすごく苦労したみたいですけど、その分逞しくなりました。とても柔軟で、前例通りの仕事と管轄に縛られず、何か新しい知恵を出そうというふうに発想が転換されましたね。そういった意味では環境省にとってはプラスだったと思います。

再稼働とリスクコミュニケーション

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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