中国は気候変動問題の「悪役」か

■米中は「同格扱い」か

京都議定書の発効に伴って、特にポスト京都の第2約束期間の枠組みを議論するにあたり、よく出てくるのは、2013年以降の気候枠組みの課題は「米中両国の参加」という米国と中国とを同等次元に扱われる議論である。

たとえば、「米国や中国、インドなど温室効果ガスの主要排出国が地球温暖化防止のための京都議定書に参加していない」とのような「米中印混同」、または「政府は11月30日朝、地球温暖化問題に関する閣僚委員会を開き、COP16でアメリカや中国も参加する温室効果ガス削減の枠組み作りを求めることを確認した」とのような「米中同格扱い」の記事もしばしば掲載されている。

ここで、まず指摘しておくべきなのは、

(1)上述したように中国は発展途上国として気候変動枠組み条約のコミットメントを履行し、京都議定書を批准し、その枠組みに参加していること

(2)CO2排出量の絶対値と相対値とも世界最大級である米国は、中国と違って京都議定書を離脱し、その枠組みに参加していないこと、である。

京都議定書に「欠陥」があるとすれば、世界のどの国よりも率先して削減すべきである米国の批准が得られていないという事実である。

米国と中国の気候枠組みにおける基本構図は、

(1)現在と将来の絶対値(総量)からみれば、中米両国とも気候変動枠組みにおいて共通で大きな責任をもつこと

(2)過去の累積排出量(気温上昇への累積責任)と絶対値(総量)は米国のほうが中国より圧倒的大きいこと

(3)相対値(一人当たり排出量)からみれば、過去、現在と将来とも中国は米国より遥かに小さいこと、がある。

つまり、「共通ではあるが差異のある責任」という気候変動枠組み条約の基本原則を堅持し、ポスト京都(第2約束期間)においても、「米中同格」ではなく、責任を差異化すべきと考えられる。具体的には、次節で述べるように、法的拘束力ある数値目標を負う時期と目標値の大きさそのものに差をつけるべきである。

特に削減目標を負う時期に差をつけるのは当然のことで当面の課題である。第2約束期間において、米国に何らかの法的拘束力のある数値目標を持たせなければ、中国を含めた発展途上国は自分にかけられる削減目標に関する討議すら拒否し続けるだろう。それは、「差異ある責任」の原則に照らせば、法的、道義的根拠が充分にあるだろう。ポスト京都の焦点の一つは、日本を含めた先進国には、まずは「米国の参加」から「説得」してもらいたい。

しかし、 米国が参加しないことを口実として他の国も取り組まなければ、 人類社会は温暖化の明白な進行を前にして無策であったということになる。 米国の参加をいたずらに待つのではなく、 その他の国々がまず一歩を踏み出すことで、米国の参加を促す道を選択したのは当然である。

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オルタナ編集部

サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」は2007年創刊。重点取材分野は、環境/CSR/サステナビリティ自然エネルギー/第一次産業/ソーシャルイノベーション/エシカル消費などです。サステナ経営検定やサステナビリティ部員塾も主宰しています。

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