■「キコエナイ」きょうだいをもつ私の視点■
多くの反対意見の中、コロナ禍で開催されたオリンピックとパラリンピック。競技そのものもさることながら放送の情報保障をめぐっていろいろな試みが行われ、私の周囲でも開閉会式の内容や手話通訳・字幕についてさまざまな反応があった。たくさんの人が「手話の人」を初めて意識するようになったのはオリンピック・パラリンピックならではの効果だと思う。本稿ではそうした気づきを一時的なお祭りで終わらせないために、キコエナイ(※)きょうだいをもつ私の視点から、情報保障について気づいたことを書いておきたい。(聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会・杉山たたみ)

※聴覚障害を示す表現は医学的・文化的にさまざま――聴覚障害のある・聴覚障害をもつ・聴覚障害者・聴覚障がい者・ろう者・聾の・デフ・聞こえない・聴こえない・耳の不自由な・難聴者・難聴の――あり、どの言葉を選ぶかは本人のアイデンティティにも関わるため、本稿ではあえて「キコエナイ」とカタカナで表記することにした。

オリンピック閉会式の様子はNHKEテレで、ろう者による手話通訳付きで放送された

■なぜ半泣きで喜んだのか

実はEテレで放送された手話通訳(ろう通訳)付きのオリンピック閉会式中継を、私は友人とLINEでやり取りしながらほとんど半泣きで見た。開会式では忘れられていた手話通訳が、ろう通訳という望ましい形で付いたことが自分でも思った以上にうれしかったのだ。

「ろう通訳」放送を受けて喜びのやり取り

私はキコエナイ妹と一緒に育ったキコエル姉である。私と同じような立場の人をSibling of Deaf (Adults/Children)を略してSODAソーダともいい、閉会式をLINE越しに一緒に見て半泣きしていた友人も同じくソーダである。

手話ができると誤解されるのは「ソーダあるある」なのだが、当時の難聴児教育では手話を教えず、補聴器を付けて音声で話したり相手の口を読み取るように指導するのが一般的だった。したがってキコエル姉の私も手話は知らずに育ち、きちんと習い始めたのはつい最近のことだ。

私は家族の中でも妹に伝わりやすく話すのが得意だったし、妹の独特な発音も一番よく理解できたと思う。それでも、学生時代に手話を獲得した妹と「完全に・お互いに・何のコミュニケーションバリアも感じずに・深く」話ができたことはほとんど無い。

私がオリンピック閉会式の手話通訳付き放送に自分で驚くほど感激し「こういうの家族で一緒に見たかった」とつぶやいたのには、このように家族なのに通じない・伝わらない経験をしてきたことが背景にあったと思う。

ちなみに半泣きだったキコエル姉に対して、キコエナイ妹から翌朝届いたのは主に閉会式の内容についての感想だった。「あの青い大きい人は有名なの?」とか「最後の大竹しのぶのはよくわからなかった」とか。

ん?肩すかし?と思ったものの、もし手話通訳がなかったら内容がどうという話はできなかったかもしれない。そもそも手話通訳がついたことに感激する事態がおかしいわけで、これがあたりまえのやりとりなのだと気づいてじんわりうれしかった。

■初めて意識した情報保障

さきほどから使っている「情報保障」、これは視覚障害や聴覚障害など情報を得るのに支障がある人に対して代替手段を使って情報を伝えることを指す言葉である。ここでは主に聴覚障害の話なので、手話や字幕、要約筆記などをイメージしていただきたい。

私(現在50代半ば)が子どもの頃のテレビは最も身近な娯楽だった。居間に鎮座するブラウン管テレビは家族みんなで見るもので、人気の番組や歌手の振り付けを知らないと学校での話題についていけないこともあった。ビデオが普及する前だから皆がリアルタイムで見ていたわけだ。

わが家が少し違っていたのは「アニメ番組は口の動きが読み取れないから、妹がいるときはあまり見るな」と言われていたことだ。『サザエさん』にチャンネルを合わせると母がいい顔をしなかった記憶がある。でも実際のところ、子ども向け番組はアニメが多かったので、母の顔色を気にしつつアニメ番組もよく見ていた。キコエナイ妹には面白くなかったかもしれないし、キコエル私にも小さな罪悪感が積み重なっていたと思う。

ちなみに妹は相撲中継が好きだった。これは見れば勝敗がわかるし、しこ名や所属部屋、出身地、過去の勝敗、決まり手など、必要な情報は画面に表示されていた。いま思えば相撲中継には聞こえなくても楽しめる工夫があったのだとわかる。

■実はあった!一緒に楽しめる番組

実は子どもの頃に私と妹が一緒に笑える人気番組があった。『8時だヨ!全員集合』である。ドリフターズのお笑いは、大掛かりなセットの中で登場人物たちが動き回り、舞台設定もどんな人物かも見ただけでわかるし、セリフよりも身体の動きで伝わる部分が多くて本当に面白かった。

子どもたちが思わず「シムラ!後ろ!後ろ!」とテレビに向かって叫んでしまう場面は聞こえなくても理解できるし、加トちゃんの「ちょっとだけよ♪」も音楽と同時に照明が変化する。ひげダンスのマイムや生放送の舞台に本物の自動車が突っ込んでくるような度肝を抜く演出に言葉は不要だった。

もちろんセリフのすべてが伝わったわけではないが、キコエナイ妹とキコエル私が遠慮せず同じタイミングで笑うことができたのは貴重な経験だったと思う。

■字幕の登場で問題は解決したのか

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