■「キコエナイ」きょうだいをもつ私の視点■
多くの反対意見の中、コロナ禍で開催されたオリンピックとパラリンピック。競技そのものもさることながら放送の情報保障をめぐっていろいろな試みが行われ、私の周囲でも開閉会式の内容や手話通訳・字幕についてさまざまな反応があった。たくさんの人が「手話の人」を初めて意識するようになったのはオリンピック・パラリンピックならではの効果だと思う。本稿ではそうした気づきを一時的なお祭りで終わらせないために、キコエナイ(※)きょうだいをもつ私の視点から、情報保障について気づいたことを書いておきたい。(聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会・杉山たたみ)
※聴覚障害を示す表現は医学的・文化的にさまざま――聴覚障害のある・聴覚障害をもつ・聴覚障害者・聴覚障がい者・ろう者・聾の・デフ・聞こえない・聴こえない・耳の不自由な・難聴者・難聴の――あり、どの言葉を選ぶかは本人のアイデンティティにも関わるため、本稿ではあえて「キコエナイ」とカタカナで表記することにした。