連載:企業と人権、その先へ(13)
都心では既に桜は葉桜になりつつあるものの、気持ちも新たに新年度を迎えた人も多いのではないだろうか。世界を見渡せば、なかなか穏やかな気持ちになることが難しい現状ではあるものの、新たなステージに進む人たちのこれからが希望に溢れたものになることを願ってやまない。

そのなかには、この4月から「人権」の担当となり、まずは勉強という人たちもいるかもしれない。「ビジネスと人権」に取り組むとき、まずは何をしたら良いだろう。もちろん国連「ビジネスと人権に関する指導原則」やその解釈の手引きを丁寧に読み込むことで、課題の背景や企業が進むべき道が見えてくるはずだ。

しかし、その大前提として「人権」自体に対する理解を深めることが必要であり、実は、これが日本企業で最も不足していると感じることが多い。そこで、今回は、筆者がよく頂戴する質問を題材に、改めて「人権に取り組む」際に大切と感じる視点(の一部)を共有したいと思う。(弁護士・佐藤 暁子)

Q:「人権」は思いやりや親切と同じでは?

特に日本社会で見られやすい誤解である。確かに「困っている人を手助けする」など、思いやりや親切は一見すると人権と非常に近いようにも思える。もちろん、親切にすること、思いやりを持って他人に接することは社会で大事なことではある。

しかし、人権はどんな場面であっても「保障されるべきこと」「奪われてはならないこと」であり、国や企業など、その権利を保障する義務を負う存在がいる点で決定的に異なる。

例えば、障害者の権利。障害者に対して「親切」にすること、「思いやり」をもつことだけでは、障害者が直面している人権問題を解消することはできない。LGBTQや外国人など、社会の様々な場面で差別を受けているマイノリティの人たちが状況の改善を求めるのは、誰しもに「差別を受けない権利」が保障されるべきだからである。

したがって、権利を主張することは決して我がままではなく、他人の権利を侵害しない範囲で誰しもが平等に享受できるものである。権利を主張するならまずは義務を果たすべきといった考えも人権の意義と相反するものだ。この機会に、自身の「労働者」としての権利もぜひ改めて考えてみてほしい。

賃金や労働時間など、適正な労働条件はもちろんのこと、ハラスメントの禁止、ジェンダーギャップの解消など、権利の主体として当然、企業に対して保障を求めることができる。

Q:何でもかんでも「人権侵害」と言われると、コミュニケーションが取りづらくなるのでは?

差別に関連する無意識のバイアス(アンコンシャスバイアス)やマイクロアグレッションという概念から、意図せずとも自分の思考や言動に表れてしまっている偏見を意識することの重要性が認識されつつある。

例えば、「日本語が上手ですね」、あるいは「女性なのにすごいですね」という発言は褒め言葉に聞こえるかもしれないが、受け手にとっては必ずしもそうではない。

なぜなら、そういった発言の背景には「外国人(外見や氏名等から判断しているような場合)は日本語が話せない」「女性が(例えば管理職や起業など)できるわけがない」といった無意識のバイアスが反映されているからだ。

このようなバイアスは、日常的に目にするメディアの発信や法制度、社会的な慣習によって刷り込まれており、気がつくことは実はなかなか難しい。しかし、ハラスメントなどにもつながる可能性が高く、結果、それぞれが十分に能力を発揮できず、組織全体のパフォーマンスが低下する可能性もあり、ウェルビーイングの観点からも大きな課題だ。

一方で、「そんなつもりで言っていないのに」「誉めているのにどうして文句を言われるのか」「相手がどう思うか分からないと何も話せなくなってしまう」という気持ちになるかもしれない。しかし、自分の言動によってそのつもりがないとしても相手の尊厳を傷つける可能性があることは意識しなければならない。

それを念頭におきつつ、自身の価値観やコミュニケーションのあり方をアップデートしていきたい。

企業に関する人権の取り組みは、DE&I(ダイバーシティ、イクイティ、インクルージョン)から海外のサプライチェーンの人権、あるいは環境・気候変動まで、非常に多岐にわたる。取り組む中でたくさんの疑問が浮かぶだろうし、おそらく失敗もするだろう。だからこそ、お互いの経験を共有できるスペースが必要だ。

社内で小さな疑問でも声を上げることができる環境を土台として作りながら、常に「人権とは何だろう」という問いに立ち戻りながら一歩ずつ進むことが大切だ。