人は誰でも理屈に合わないことには納得できない。できるだけ論理的に考え、行動したいと思っている。しかし、論理だけで現代社会が抱えるすべての課題が解決できるかといえば、無論そんなことはない。お互いが肩ひじ張って論理だけを言い立てればギスギスした険悪な雰囲気となり、最後はケンカになってしまう。なぜなら、正解はひとつではない。双方に理屈が立つ、つまり、どちらも正しいということも大いにありうるからである。
理性ばかりでなく感性の持つ可能性も見直すべきだという指摘は示唆に富む。そして、実は、第六感、創造性、想像力、センスといった感性は理屈に合わない非科学的なものではなく、理性的な多くの研究者がその重要性を認識しているのである。そんなことを考えていた折りも折り、不思議な人に出会った。
kumikoさんといい、40歳ちょっとの麗しいヒーリングシンンガーである。マスカーニの「アヴェ・マリア」やベートーベンの「月光」を語りかけるかのようにやさしく、あるいは心を癒すかのように弾き歌いをし人気だが、この人の話がなかなか興味深い。
「私もともとは天使だったんです」とのっけから驚きの告白をする。守護神としてその人が最善の道を進めるよう人間に声をかけてきたのだが、幸せをつかむ人がいる一方で、悲しい出来事にとらわれるあまり、人としての輝きを失い自殺してしまうようなケースにも遭遇した。
「どうしてそんなことになるのか理解できず 神様に背中の羽を取ってもらい天使から人間になったんです」
本当に?と思ってしまいそうだが、ちょっと待ってほしい。世の中には不思議なことがあるのである。理屈ばかりでは、実際に多くの人が体験している降霊術、幽霊、幽体離脱などの心霊現象、超常現象は説明できない。テレパシー、予知など超能力、絶対音感、スーパーテイスター、それに近い特殊な能力を持つ人は古代から確実に存在していた。
kumikoさんも、子どものころから予知能力に優れ、「あの自転車、もうすぐ転ぶよ」と予言したところ、本当に転倒し、母から「そんなこと言うから本当にこけちゃったじゃない」と怒られたりした。
ピアノを習ったが、どんな曲も一度聴いたらすぐ弾けてしまうので、神童ともてはやされた。しかし、そのことで周囲から浮いてしまい、いじめにあったことから、普通の子になりたくて特別な才能を隠すようになってしまったという。大人になった今も、そんな不可解な自分を抱え込んでいる。
私自身は保守的な人間で超常現象や超能力にあまり関心はないのだが、kumikoさんが、最近、こんな本が売れているのよと教えてくれた『かみさまは小学5年生』(サンマーク出版)を読んでみた。
筆者はすみれちゃんという小学生の女の子で、元天使ではなく、生まれる前は神様だった子である。生まれた時から神様や天使さんたちとずっとお話をしているのだという。
すみれちゃんによると、神様は100人くらいいて、階級があり、すみれちゃんは上から2番目の階級。ここには神様はふたりいて、すみれちゃんはたった一人の女性の神様である。一番偉い神様はもちろん男性で、人間の形をしており、お酒が大好きらしい。
本の中で紹介されるすみれちゃんは、お腹の中の赤ちゃんが見えたり、その赤ちゃんとお話しできたりするのだが、その語録が楽しい。
「神様や天使さまとお話しできていいなっていわれるけど、特別なのはみんなも同じだから。誰かだけが特別なんてない。みんな特別」
「ママに選ばれるってとってもすごいこと。だって考えてみて。世界のママやパパが何億人、いや、もっと数えられないくらいいるのに、その中からひとり選ばれるんだよ」
さすがに元神様だけあって説得力がある。
「何回も魂は生まれ変わるけど、今世は一度きり!! だから今を楽しんで幸せにならなきゃもったいない!! だってあなたは、今生きてるんだから」
うーん。励まされる。真実をついていてとても小学生とは思えない。本当に神様だったと信じたくなるから不思議だ。本がベストセラーになるわけである。
神様に羽を取ってもらった元天使のkumikoさんは、人間に適切なアドバイスをすればみんな幸せになると思っていたが、実際に地上降りて暮らしてみると思うようにはいかないようだ。孤独で悲しくて苦しい毎日を送っている人がまだまだ多い。しかし、この人たちを幸せにしないと天使には戻れないのだと、頑張っている。
kumikoさんは、ピアノで、屈託を抱える大人や若者を癒し、落書きアートのお手伝いで子どもたちを瞑想に誘い、創造性や想像力といった感性を引き出すために頑張る毎日である。つい最近は、高野山恵光院で奉納演奏を披露した。
論争に疲れた人は一度、その歌声を聞いてみるといいかもしれない。天使や神様が私たち人間のことをどんなに心配してくれているかに思いをはせながら。(完)