沖縄の美味しい豚には訳がある(希代 準郎)

作家
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◆「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(33

 もう一年も前のことになる。冬の冷え込みのきつい夕暮れだった。みぞれまじりの雨が舞っていた。「校長、きょうは珍しく雪になるらしいので早めに帰った方がいいですよ」凍えた指で襟を立てながら事務員は帰り支度を始めた。その時、玄関の扉をたたく音がした。
今ごろ誰だろう、私はそう思いながらドアを開けた。一陣の風とともに雪のようにふわりと舞い降りた少女が立っていた。いや後姿だったので子どもに見えたのはほんの一瞬で、振り向くと白っぽい服を着た小柄なおばぁだった。
 「ハイタイ(こんにちは)、中学校はここでよかったかね」
 「ああ、フリースクール、風の子学園はこちらです。私が校長です。あのぉ、お孫さんが不登校か何かで困っているとか?」
 「アラン(違う)。中学校で勉強したいのは孫ではないさぁ」。おばぁは手をヒラヒラさせて「入学したいのはわんやいびーん(私なんです)」
 おばぁはクシャクシャになった新聞を巾着から取り出した。大阪あたりでは夜間中学が高齢者を受け入れ始めていると書いてある。
 「小学校も出てないので今でも卒業する夢を見る。私の人生は戦争で止まったまんまさぁ。今朝、小島を出て船で本島まで来たんだよ。父ちゃんは何をいまさらと言うが離縁してでも勉強したいんです」。
 新学期は来春なのでとりあえずは聴講ということで仮入学することになった。それが渡嘉敷ハナとの出会いであった。それからいろんな話をしてくれました。悲しみの詰まった物語でした。
 「朝起きたら幼い妹のおしめを川で洗濯、干した後、学校に行くと1時間目は終わってる。妹をオブっているので皆からシーバイ、ヤナカジャー(おしっこくさい)と教室を追い出されてしまったさぁ」
 「家族は?」
 「両親は早くに病死。小学生の時、戦争が始まり兄は学童疎開船津島丸に乗っていて米潜水艦の魚雷で沈められたさぁ。60歳になったころからもう一度学校に行きたいと、そう思うようになったんだ」。
 風の子学園には不登校などさまざまな事情を抱えた子供がいる。そんな子どもたちがハナおばぁの周りに「なぜ勉強したいの」といぶかし気に寄って来る。
 「小学校を卒業してからは駄菓子屋、イユ(魚)売り、食堂、なんでもやった。字が書けんからね。バスの車掌をした時は那覇から終点まで停留所の名前を全部暗記したさぁ」
 このおばぁ聴講生のことがテレビで放映されたこともあって翌春にはふたりのおばぁが加わった。トシおばぁは戦争の話になるとびっくりするほど暗い顔になって子どもたちを狼狽させた。
 「小学校四年生の時、空襲にあってやんばるの山に一家で逃げたよ。アメリカに見つかり捕虜になったさぁ。貧乏で母ちゃんが一家心中しようとしたけど私が泣いたため諦めたの。大人になってからは和裁を教えて生計を立ててきたので、漢字が書けないとはたーも(誰も)知らんはずよ。会議が苦手で議事録となるとお手上げよ。全部ひらがなで書いた後、辞書と首っ引きで漢字を探すしかなかったさぁ」
 いつもは無口なカツおばぁも時々饒舌になった。「アメリカが嫌いと言えない。米軍基地で働いてきたからね。タイピストとして沖縄の女性と米兵の結婚手続きの手助けもしたさぁ。ハウスメイドとして将校の家で子守や掃除もしたよ。その一家が帰国してから洋服を段ボールで送ってくれた。私の結婚後も行き来があったさぁ。米国で暮らさないかと誘ってくれた。夫婦でカリフォルニアの家も訪問したけど、突然亡くなってしまってね。誰が悪いということじゃなく、そういう時代だったと思うしかないさね」
 学園ではことしもクリスマス発表会の日がやってきた。沖縄民謡についての中等部の発表に続いて初等部が「うちなー口」、つまり沖縄方言のことわざを披露した。
 「いちゃんだご馳走 後ぬ厄介」(イチャンダクワッチー アトゥヌアンマサ)。無料でご馳走になると、のちに厄介ごとがありかえって高くつくことです」と舞台の子供たちが声をそろえると、客席から「それでも食いてぇ」と茶々が入り会場は大笑いだ。
 いよいよ夜間中学の出番だ。三婆のゆったりした三線の演奏は好評で、珍妙な英語劇も大うけだった。拍手が鳴りやまず、アンコール、アンコールの大合唱。戸惑っているハナおばぁに私は「あの話をしたら」と声をかけた。うなずいたハナおばぁの語りが始まった。

 ―これは海から豚がやってきたというお話です。戦後まもないころで私はまだ小学生だった。うちの島の農家に大きな豚が届けられてねぇ。食糧難で、村中が大喜びだったさぁ。その豚は、アメリカのオレゴンちゅう港からいっしょにやってきたという話でさぁ。激戦地となった沖縄は人口の4分の1もの人々が亡くなり沖縄料理の材料である豚も激減したわけ。その窮状を知って動いてくれたのがハワイのウチナーンチュ(沖縄)移民の人たちだったんだ。故郷を助けたいという思いから「故郷に豚をおくりましょう」と連日ラジオで呼びかけたんだよ。それで現在の価値にして5千万円が集まったけど、肝心の豚がハワイではたくさんはいなかったのさ。それでネブラスカ州オマハで550頭の種豚を買い付けオレゴン州から船で運んだんだ。豚の扱いは難しいというからハワイの山城、宮里、島袋など7勇士が同行してねぇ。4年後には10頭にも増え沖縄の栄養を支えてくれたさぁ。

 途中からハナおばぁは少女の顔に戻っていた。心にしみる話だった。私はかつて教えた東京の高校で開催された文化祭のことを思い出していた。「反戦」「沖縄返還」と書かれたヘルメット姿の生徒が会場に乱入し大混乱になったことがある。あれはいったい何だったのだろうか。
そして次の日、ハナおばぁは学園から姿を消した。私のところに手紙がきたのはそれから間もなくのことである。
「校長先生、元気ですか?字が書けるようになったこと、あの世の母に報告しました。島に帰ることにしました、おじいちゃんが倒れたからね。トシおばぁ、カツおばぁ、頑張って定時制高校から大学まで行ってね」。
 何かが同封されており、見るとハナおばぁそっくりの豚の顔のミニチュアだった。マーケットでよく見かけるチラガーである。
白いものが落ちてきた。空を仰ぐとなんと珍しく雪だった。あの時以来の雪だ。ひらひらと舞い落ちる雪はまるで歴史を埋め尽くそうとでもするかのようにいつまでもいつまでも降りしきっていた。(完)

作家
日常に潜む闇と、そこに開ける不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているショートショートの新たな 担い手。この短編小説の連載では特にNPOという新たな動きに注目、そこに関わる群像を通して、生きる意味、生と死を考える。

2019年9月3日(火)9:00

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